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2019.05.16 Thursday
目標管理
定年後、自治体の外郭団体で働く友人がぼやいていた。
彼の職場で、目標管理をやることになったという。 民間に比べると、20年以上は周回遅れだが…。 目標管理は、90年代くらいにぼくが勤めていた会社も取り入れた。 民間企業ではもう一般的に使われている言葉だと思う。 上位の組織(会社、事業部など)の目標があって、それを達成するために部長や課長などの中間管理職の目標があり、それをまたブレイクダウンして個々人の目標を立てる。 その目標を上長とすり合わせ、達成目標にして、その達成度を半期に一度評価する、というような仕組み。 成果主義と相まって、導入されたという経緯がある。 学校法人で勤めていた時、一度それをやろうとして、反対にあって諦めた。 ああいう非営利組織は効率を追求しないし、何より評価制度を嫌う。 そのくせ、学生の評価はきつかったりするから、わけがわからない。 まあ、とにかく、友人の行っている外郭団体でも、遅まきながら目標管理をやろうということになったということだ。 ところが、上から目標が下りてこない。 それなら、やっても仕方がないということになる。 あくまで組織の目指すべき目標があって、それにどう個人が貢献していくかという観点で、個々人の目標を立てないと意味がない。 友人はそのことをだいぶ言ったらしいが、とりあってもらえない。 何でもいいから、個人の目標を立てよう、ということだ。 こういうのを換骨奪胎という。 つくづく、公的部門は人が違う、と言っていた。 要するに、やることになったからやる、ということだ。 その意味や、目指すところなどどうでもいい。 友人は定年までは大企業で、目標管理をちゃんと運営していて、その意味などもわかっている。 要するに、G(Global)企業だ。 実際、日本経済を引っ張ってきたのは、Gの世界の企業であり、国内でぬくぬくとやってきた人たちにも、自分の知っているやり方をやってもらいたいと思っているのだが、もうほとんど諦めている。 諦めてはいるのだが、今回の目標管理のようなことがあると、ついつい口を出してしまうのだ。 どうしようもないとわかっていても、そうしてしまう。 それくらい、彼我の溝は深い。 |
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