考えたこと2

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美空ひばりと岡林信康
美空ひばりと岡林信康の関係については、あまり知らなかったが、今日のNHKのSongsを聞いて(見てはいない)概略がわかった。

美空ひばりが亡くなったのは、1989年。
岡林信康がフォークの神様と言われていたのを、リアルタイムで知っている世代は、今の50代がギリギリだろう。
だから、両方を知っているのはかなり年配の部類に入る。

岡林信康を初めて聞いたのは、中学1年の時。
友だちのお兄さんが持っていたテープをもらって、それを聞いた時だった。

今でも歌詞の一部を覚えている。

 何とでも言うがいいさ
 いい子でいたいおりこうさん 
 あんたにゃわかるまい
 今日乗り越えて
 明日に生きることなんか

題名は「今日を越えて」というらしい。

その後、あまり興味がなくなり、洋楽を聞きはじめてフォークにうとくなった頃、岡林信康は姿を消した。
山村で田畑を耕して、自給自足の生活をしていたらしい。

そこで、美空ひばりと出会う。

山村で暮らす岡林信康は、演歌の良さに気づき、美空ひばりのために演歌を作る。
その演歌を作っている時に、美空は岡林が作った歌詞を紙に書いて、それに矢印などを書き込んでいたらしい。
「それはなにか?」と岡林が聞くと、「私は譜面が読めないから、こんなふうに書いているの」という。
「俺も譜面は読めないけど、それでも歌は作れる」というと、美空がすごくうれしそうな顔をしたらしい。
それが二人がうち解けた瞬間だとのこと。

番組は、美空ひばりが歌手としての自分と、本名の自分との間に葛藤を感じていたこと、そしてそれを岡林にあてて書いた手紙に歌詞として書いていたこと、それを今回岡林がレコーディングしたことを告げ、その曲が流れて終わる。

いい番組だった。

岡林信康はだいぶやわらかくなった。

年のせいだろう。

歳月は人生をいろどるスパイスだ。
それ次第で、いい顔になったり、悪い顔になったりする。

岡林信康にとっては、苦しんだ時もあったが、歳月はいい年月だったのだろうと思う。

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