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2010.02.27 Saturday
少年のように
ピーターパン・シンドロームというのがある。
いつまでも大人になりたくない、というヤツだ。 これはピーターパンが永遠の少年だというところから来ている。 大人になりたくない、という感傷を持ったことがある人は多いだろう。 大人の世界はきたないとか、権力があるものが勝つとか、ダーティなイメージだとか…。 具体的なイメージがなくても、何となく大人になりたくないという気持ちは、思春期にありがちなものだと思う。 当然、子供と大人の狭間で、未体験の大人ゾーンを恐がる気持ちもあるのだろう。 結構な数の大人が、そういう思いを持ったことがあると思う。 パーセンテージにして、60%くらいの人が一度はそう思ったことがあるのではないか。 しかし、実際に大人になって、そんなことは忘れてしまう。 ああ、そんなこともあったかな、という程度だ。 少なくとも、ぼくに関しては。 それはなぜか? よく考えてみればわかる。 いつまでも少年のようでいられたら、うっとうしいからだ。 そんな大人はかなわない。 議論をしても、常に正論ばかりで、「そうできたらしてるわい」と思う。 社民党など、そんな感じではないか。 お金はきたない、清廉潔白、こうでなければならない…。 そんなきれいに生きられるはずがない。 大人が生きるということは、妥協の産物だ。 小さな妥協を積み重ねて、交渉して、それで生活が成り立っている。 人間関係はそういう妥協を、いかにするか、というようなものだと思う。 全てが妥協とは言わない。 妥協できないところ、譲れないところがあるのも大人だ。 濃淡が、強弱があるのだ。 妥協できないところを、妥協せずにいくために、妥協がある。 そういう考えを持ってこそ、大人だろう。 いつまでも少年のようなヤツはうっとうしいだけだ。 |
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