考えたこと2

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少年のように
ピーターパン・シンドロームというのがある。
いつまでも大人になりたくない、というヤツだ。
これはピーターパンが永遠の少年だというところから来ている。

大人になりたくない、という感傷を持ったことがある人は多いだろう。
大人の世界はきたないとか、権力があるものが勝つとか、ダーティなイメージだとか…。
具体的なイメージがなくても、何となく大人になりたくないという気持ちは、思春期にありがちなものだと思う。
当然、子供と大人の狭間で、未体験の大人ゾーンを恐がる気持ちもあるのだろう。

結構な数の大人が、そういう思いを持ったことがあると思う。
パーセンテージにして、60%くらいの人が一度はそう思ったことがあるのではないか。

しかし、実際に大人になって、そんなことは忘れてしまう。
ああ、そんなこともあったかな、という程度だ。
少なくとも、ぼくに関しては。

それはなぜか?

よく考えてみればわかる。

いつまでも少年のようでいられたら、うっとうしいからだ。
そんな大人はかなわない。
議論をしても、常に正論ばかりで、「そうできたらしてるわい」と思う。
社民党など、そんな感じではないか。

お金はきたない、清廉潔白、こうでなければならない…。

そんなきれいに生きられるはずがない。
大人が生きるということは、妥協の産物だ。
小さな妥協を積み重ねて、交渉して、それで生活が成り立っている。

人間関係はそういう妥協を、いかにするか、というようなものだと思う。

全てが妥協とは言わない。

妥協できないところ、譲れないところがあるのも大人だ。
濃淡が、強弱があるのだ。

妥協できないところを、妥協せずにいくために、妥協がある。

そういう考えを持ってこそ、大人だろう。

いつまでも少年のようなヤツはうっとうしいだけだ。

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