「学力低下」の原因はスマホでもコロナ禍でもない?法学者も指摘「小学校での探究やグループワークの増加」が問題かという記事を読んだ。
長くなるが、以下記事から引用する。
「文部科学省が子どもの学力の変化を調査する「経年変化分析調査」(2024年)の調査結果を発表し、波紋を呼んだ。小学6年と中学3年の学力が、前回の2021年度調査より著しく低下し、阿部俊子文部科学省大臣(当時)は「社会経済的背景の低い層のほうがスコアの低下が大きいことを重く受け止めている」とコメントしている。
さて、この学力低下の調査結果は一記者の私からすると「想定内」であった。なぜなら、取材先の複数の塾の現場で「入ってくる中学1年生の学力がひどく低下している」とみなが頭を抱えていたからだ。
「分数の足し算ができないのは当たり前で、もっと単純な四則計算ができない子も増えている。語彙力もないのでそこも補ってあげる必要がある」「高校受験対策の小学生コースに力を入れていなかったんですが、今後はそこに注力して小学生の頃から塾で学力を上げていく必要があると考えている」という話を聞き続けてきた。」
ということだ。
塾で入ってくる中学生の学力が低い、と言われている。
今どきは、生徒の学力を知っているのは学校ではなく塾だ、という話を数年前に塾の経営者に聞いたが、それは本当なのだろう。
これは2020年度から小学校で探究学習やグループワークの授業が組み込まれたから、というのがこの記事の主旨。
みんなで話し合うという授業が増えたため、基礎知識がおろそかになっている。
読み書き計算すら身につかない、ということだ。
これは大学でも同じ。
名称は
アクティブラーニングという。
断言するが、こんなことを宣伝している大学には行かないほうがいい。
わざわざそんな言葉を作らなくても、ゼミナールではそういう学び方をしているはず。
アクティブラーニングの前提は、知識の詰め込みだ。
それがないままで、アクティブに学ぶことなどできない。
そんな当たり前のことが教育学者たちにはわからないらしい。
この記事について、Geminiにコメントを求めたら、以下のようなものだった。
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この記事は、現在の公教育、特に小学校における教育指導要領の運用が抱える**「基礎学力の定着」と「探究的な学習」のバランス**という根深い問題に切り込んでいます。
賛同できる点
基礎学習の重要性: 探究学習やグループワークは思考力や協調性を育む上で重要ですが、それは確かに記事が指摘するように**基礎知識という土台(応用編)**があって初めて効果を発揮します。「読み書き計算」といった基礎事項を習得する時間が奪われることで、かえって学習意欲や自己肯定感を損なう可能性は否定できません。
効率の問題: 基礎知識の定着には、集中的な講義や反復練習が最も効率的な場合があります。グループワークで時間が消費され、十分な復習ができない現状は、特に多様な学力を持つ児童が集まる公立校においては大きな課題です。
教育の機会均等: 宿題の有無や、基礎学力の定着を家庭や塾に委ねる傾向は、経済的に余裕のない家庭の子どもが十分な教育を受けられない**「教育格差」**を拡大させるリスクがあります。公教育がすべての子どもに最低限の学習を保障するという役割を果たすためにも、基礎学習の時間を確保することは不可欠です。
補足的な視点
探究学習の質の担保: 探究学習自体が悪なのではなく、「時間の計算」の時間を削ってまで不十分な形で実施されるその質に問題がある可能性があります。探究学習を充実させるとしても、まず「計算の仕方」は教えた上で、「時間」という概念を応用的に考える活動へ進むなど、指導内容の整理・工夫が必要です。
教員の負担: カリキュラムの量が増え、授業をスピーディーに進めざるを得ないという教員の声は、教育現場の過酷な実態を示しています。教員が個々の児童の理解度に合わせて立ち止まって教えることができない環境も、学力低下の一因と言えます。
教育は、基礎を固めるインプットと、それを活用するアウトプットのバランスが鍵です。現状の公教育は、意図しない形で「応用」ばかりに時間を割き、公教育の役割を塾や家庭に委ねてしまっているという点で、深刻な転換期を迎えていると考えられます。
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もうアクティブラーニングなどというバカなことをやめて、もっとシンプルに学習させるべきだと思う。