考えたこと2

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学校での合理的配慮
学校で、合理的配慮が来年の4月から義務付けられる。
「合理的配慮」の定義は内閣府のパンフレットによると、

「障害のある方々の人権が障害のない方々と同じように保障されるとともに、教育や就業、その他社会生活において平等に参加できるよう、それぞれの障害特性や困りごとに合わせておこなわれる配慮のことです。2016年4月に施行された「障害者差別解消法 (正式名称:障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律)」により、この合理的配慮を可能な限り提供することが、行政・学校・企業などの事業者に求められるようになります。」

と書かれている。

要は、障害のある人が、障害のない人と同じようにできるように、合理的に配慮しようということだ。

「学校生活においては授業やテスト、成績評価、行事、さらには食事や排泄、友だちとの関わりなど、さまざまな場面での困りごとが想定されます。また、その困りごとに対する合理的配慮の方法もいろいろな手段が考えられます。合理的配慮について検討する際は、お子さまに関わる人々が1つのチームとなって話し合うことが重要であり、お子さま自身が抱える困難についての理解や受容を深めるためにも、本人を交えてしっかりと話し合い、共に認識することがとても大事です。」

大学も対応しないといけない。
この対応は、大学の入試状況で左右される。
苦しい大学は一人でも合格者を増やしたい。
定員割れしている大学は、少々問題があっても、入学させたいのだ。
定員割れしているくらいだから、そういう学校では入試が成立していない。
ということは、よほどの事がないと、受けた学生は入学させるということだ。

学校法人が現場の苦労を知っていれば、当然そういう受験生は不合格にするのだが、とにかく金がほしい、ということになるといろんな学生が入ってくる。
とにかく定員を確保せよということが至上命題になると、入学者を決める教授会も、自分たちの給料のためには背に腹は変えられない。
ということで、教授会は形骸化し、「多様な」学生が入ってくる。
こうなると、もう大学の体をなさなくなる。

結局、大学が決めたカリキュラムを理解して、履修できる学生が大幅に減少することになる。
そういう学生のために、初年次教育というものが必要とされた。
それについては、小学13年生や日本の初年次教育その2教育劣化などの記事を書いてきた。

昔は初年次教育というような科目はなかった。
受験戦争と言われた時代がよかったとは言わないが、それでも今よりはマシだったのかもしれない。

そんな状況の大学では、合理的配慮は難しい。
もともと、カリキュラムを理解することができない学生がたくさん入ってきているからだ。
障害を持っていなくても、カリキュラムについていけない、という学生には合理的配慮をするべきであり、それは入学を許可した大学の責任になる。

その上に、今回の合理的配慮の義務化。

定員割れしても、合理的配慮ができない学生の入学を拒むことができるかどうかが焦点だと思う。
多様化にも限度があるのだ。

定員割れした大学は、より厳しい状況になるだろうと思う。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:52 | comments(0) | trackbacks(0) |

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