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2023.12.18 Monday
哲学の教科書
フランス人は理屈が好きだ。
フランス語を聞いていると、やたらパとプの発音が聞こえる。 これはぼくが唯一3ヶ月間滞在した海外での感想。 これは「プルコワ」と「パスク」が多いからだと思っている。 プルコワは「Pourquoi」と書いて、なぜ?という意味。 パスクは「Parce que」と書いて、なぜなら、といういみだ。 つまり、会話の中でなぜ、どうして?と聞いて、なぜなら…、と答えているということになる。 理屈が好きな民族だなあと思っていたら、彼らは高校生で「哲学」を習うという。 「哲学の教科書」という記事には、「死に備えるには」ということも書いてあるらしい。 ぼくらは何となく、「死」を言葉にするのを控えるという言霊信仰があるが、彼らは言葉にしてこそ、それを哲学できると思っているのだろう。 その教科書の著者は「死」についてこんなことを書いている。 「モンテーニュより前にプラトンが「哲学とは死に方を学ぶことだ」と言っている。死はプラトンにとって、永遠の真理を再発見する機会だった。私たちは生まれる前、その真理に浸っていたはずなのだ。 「死に備える」とは、「肉体の死」、あらゆる本質的ではないものを終わらせ、永遠という視点からものを眺める天上の精神のみにて生きる存在、すなわち賢者になることである。」 やはり哲学は「死」とは切り離せない。 ただ、「死に備える」という言葉は正しくないという。 日本の哲学者、池田晶子が言っていたように、死は誰も経験したことがないからだ。 わからないものに対して備えることはできない。 「だからといって、死への疑問を封印することはない。人生に悔いのある者、落伍者を自認する者ほど、死への恐怖は強い。充実した人生を送った者は、より穏やかな気持ちで死を覚悟する。もちろん、いつ死んでもいいというわけではないだろうし、誰だって死は怖い。 だが、それでもなすべきことをしたと思えれば死への恐怖は弱まる。たぶん、それが死を考えるヒントであり、生きるためのヒントでもあるのだ。」 高校生たちに、死を考えることは自分がなすべきことを考えるということだ、というふうに教えているのだろう。 自分がなぜ生まれてきたかということに対する答えはない。 なぜか分からず生まれてきて、自分で何をなすべきかを考えるのだろう。 それが「生きがい」というようなものにつながる。 そんなことをフランス人は高校で学ぶ。 だから理屈っぽいのかもしれない。 |
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