考えたこと2

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プロのプレイヤー
プロのプレイヤーは、コロナで3ヶ月ほどライブはできなかったと思う。
ぼちぼちそれができるようになってきた。

ツイッターを見ていると、そういうツイートを見るようになった。

「昨日ほぼ3カ月ぶりに人前で演奏をした。20年以上ジャズで生きてきてこんなに長い間演奏しなかったのは初めて。生きているミュージシャンの生音に飢えていた。こんなにブランクあって不安もあった。実際、感覚、反応速度の錆付きはあり、共演者のエネルギーに助けられた。演奏できるって本当幸せ。」

こういう気持ちなんだろうなあ。
20年以上ステージで楽器を演奏してきて、初めて3ヶ月のブランク。
音楽をやる上で、身体を使って楽器をコントロールするのには、練習が必要だ。
それも、機械的な練習だけではなく、実地練習も必要なのだと思う。
だから、「生きているミュージシャンの生音に飢える」のだろう。
その音楽を聞きながら、自分の身体が反応して、楽器を鳴らす。
そういう感覚が鈍ってしまうのだと思う。
3ヶ月は長かっただろう。

プロの身体の使い方など、本当に微妙なものだと思う。
理屈や感覚でわかっていても、身体が動くとは限らないのだ。

音楽のステージなど、不要不急だろう。
なくても、生活には困らない。
舞台でやるものなど、みんな同じだ。
音楽だけでなく、演劇も、演芸もみんな不要不急。

枝雀が、落語のマクラで「落語家」という商売を、宇宙人が来て、役に立つ人間を連れて行く、というシチュエーションで、
「あれは何ですか?」
「落語家です。」
「それは何をする人ですか?」
「しょうもないことを言って、人を笑わせます」
「それは要りません」
というようなことを言っていた。

しかし、それらを全て不要不急と言ってしまうと、人生は味気ない。

またいろいろな舞台が見られるようになると、いいと思う。



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