考えたこと2

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SDGs
SDGsという言葉は、持続可能な成長目標(Sustainable Development Goals)という意味だ。
この言葉を聞いたのは数年前だったと思う。
その時は、持続可能ということで、資源を減らさない再生エネルギーや、ものをリサイクルする、というようなことだったと思う。

ところが、こないだ見ていると、SDGsは17項目もあるという。
17は多いなあと思って詳細を調べると、アイコンができていて、中身を見てちょっとビックリした。

項目を列挙すると、貧困をなくす、飢餓をゼロにする、すべての人に健康と福祉をもたらす、質の高い教育の普及、ジェンダー平等を実現する、安全な水とトイレの普及、手ごろな価格のクリーン・エネルギーの普及、ディーセント・ワークと経済成長を両立させること、産業と技術革新の基盤をつくること、人や国の不平等をなくすこと、住み続けられるまちづくり、責任ある消費と生産、気候変動に具体的な対策を取ること、海の豊かさを守ること、陸の豊かさを守ること、平和、正義と充実した制度機構、パートナーシップで目標を達成すること、という17個。

国連で2015年に採択された。

さらに、この17個の目標の下に169個のターゲットがあるという。
最近、WHOは言うに及ばず、国連の活動にアメリカは愛想が尽きている、という感じがする。
その原因がちょっとわかった。

第二次大戦が終わった後、戦勝国を中心に国際連合ができて、当初は戦勝国が常任理事国になって機能していたのだと思う。
加盟国数を見てみると、1945年は51カ国、60年に99カ国、70年に127カ国、80年に154カ国、2000年に189カ国、2011年に193カ国という数字が国連の広報センターに出ている。
できて50年以上の間に、3倍になってしまった。
世界の国々が、第二次大戦後、冷戦を経て平和になり、どんどん独立して国連に加盟した。
その結果が今の国連。

アメリカから見れば、国が増えすぎたということなのだろう。
冷戦が終わり、いろいろと他国のことに首を突っ込んできたが、もう疲れてきたので「世界の警察官」はもうやめる、という状況。
相対的にアメリカの力が落ちると、ロシアが出てくるというのが従来の常識だが、ロシアもアメリカのシェールオイルが出てきてからは苦しい。
代わりに力をつけてきたのが中国。

WHOの様子を見ているとわかるように、アメリカが見放した国連を着々と支配しているように見える。
一帯一路もその一環だし、アフリカへの投資も同じだろう。
そんな状態で出てきたのが、このSDGs。

多くの途上国の要望があったのだろう。
非常に網羅的な要求になっている。
しかし、これらは現実にはならないと思う。

自由市場は「差異」の経済だから、みんな一緒に、というのはどう考えても無理なのだ。
「差異」があるから、優位性が成り立ち、儲かる、という循環が成り立つ。

だから、世界の国々がそれぞれ17個の項目の実現を目指すことはいいことだが、それが実現するとは思えない。

おまけに、機関投資家が投資をするときにはSDGsを考慮している会社に投資しよう、という動きまであるという。
SDGsが本気で実現したら、どうやって経済を回し、儲かるところを見つけていくのか、わからない。
本気なのだろうか。

日本は、2018年にニューヨークの国連本部で開かれたSDGsに関する政治フォーラムで、2030年に向けて民間企業および市民団体へのSDGsの取り組みを普及・拡大を促進しながら、“オール・ジャパン”でSDGsに取り組むことを表明したという。

なんだか、キレイ事に振り回されているような気がする。
そんなに世界は理想的なものではない。

難しい問題だ。




| | 考えたこと | 23:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
佐野元春
一時期ハマったのが佐野元春。
彼は日本でもラップに早く注目したアーティストだったと思う。

いちばんよく聴いたのは、1986年のYoung Bloods。
調べてみると彼は1956年の3月生まれ。
ぼくと1年違いだ。

今晩WOWOWでコンサートをやっているのを見たが、まだまだ現役のロッカーという格好で、ギターをかき鳴らしていた。
小坂忠も参加していて、ちょっと上の年代の人もいれば、若いミュージシャンも出ていて、いい感じだった。

86年のYoung Bloodsはラップ風の歌い方の走りだったと思う。
ベースのビートの刻み方も、今のヒップホップに通じるもの。
あのビートが気持ち良くて、カセットに入れて何度も聞いた。
当時はレンタルレコードが流行で、借りて録音したから、レコードは持ってない。
何となくCDも買いそびれて、ないままだ。
今日のコンサートでは、あの曲の時はエピフォンのセミアコを弾いていた。

一時期DJっぽい音楽を一人でやっていた。
Somedayが流行った後か。
みんなに知られるようになった反動だったのかもしれない。

当時よく聞いたハイファイセットはベスト盤のCDを買ったりして、揃えたものだが、今はもう音楽を所有しない時代になろうとしている。
どうも、それにはなじめないが…。

30代に入るころ。
レコードの時代の終わりで、CDの時代が始まろうとしていた。

懐かしい。




| | 音楽 | 00:11 | comments(0) | trackbacks(0) |