考えたこと2

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一時代の終焉
昭和44年、水戸黄門が始まった。
そして、今の放送で終わるらしい。

昔、助さん、格さんをやっていた俳優が、今や水戸黄門をやっているのだから、時代を感じる。

今から42年前。
ほぼ半世紀の歴史がある。
ちょうどカラーテレビがぼくらの家に来た頃。
モノクロテレビの普及率が94.7%、カラーテレビの普及率が13.9%という数字。

この番組をはじめ、時代劇が花盛りの時代だった。
今のような「バラエティ」というジャンルすらなかった頃。
アメリカのドラマを日本のテレビ局が買って、放送していた頃でもある。
今よりは、真面目にテレビ番組を作っていた。

この水戸黄門は番組開始から40分経つと、大団円と決まっている。
悪人に取り囲まれ、助さん格さんが暴れ、黄門様が「もういいでしょう」と制し、そこで印籠が出てきて、種明かしとなる。

このパターン、海外にあるのかどうかわからないが、日本人の琴線に触れたからこれだけ続いたのだろう。
偉い人が身分を隠し、悪事をあばき、最後は身分を明かして悪人一味に頭を下げさせる。

同じようなパターンで、遠山の金さんというのもあった。
これも似たようなもの。
遠山金四郎という南町奉行が、遊び人の格好をして悪事を暴き、最後は奉行に戻りお白州で顔を合わせ、悪人を懲らしめる。

どちらも、偉い人が身分を隠して、旅の商人やまちの遊び人という格好をするところがいいのだろう。

ただ、時代とともに飽きられてきた。
というか、そういうシチュエーションを好んだ世代が、テレビを見なくなったということかもしれない。

二つの番組に共通するのは、絶対的な権威というモノ。
それが最後は悪を懲らしめる。
水戸のご老公であったり、南町奉行であったり、当時の絶対権力だった。
そういうものが、今はなくなったというのも、関係しているのかもしれない。
警察といえど、信用できない。
政治家はもっと信用できない。
そんな不幸の時代の投影かもしれない。

世の中から、絶対的な権威が失われていった結果、水戸黄門が終わる。

これは、世の中にとって、いいことなのか…。


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