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2011.07.18 Monday
一時代の終焉
昭和44年、水戸黄門が始まった。
そして、今の放送で終わるらしい。 昔、助さん、格さんをやっていた俳優が、今や水戸黄門をやっているのだから、時代を感じる。 今から42年前。 ほぼ半世紀の歴史がある。 ちょうどカラーテレビがぼくらの家に来た頃。 モノクロテレビの普及率が94.7%、カラーテレビの普及率が13.9%という数字。 この番組をはじめ、時代劇が花盛りの時代だった。 今のような「バラエティ」というジャンルすらなかった頃。 アメリカのドラマを日本のテレビ局が買って、放送していた頃でもある。 今よりは、真面目にテレビ番組を作っていた。 この水戸黄門は番組開始から40分経つと、大団円と決まっている。 悪人に取り囲まれ、助さん格さんが暴れ、黄門様が「もういいでしょう」と制し、そこで印籠が出てきて、種明かしとなる。 このパターン、海外にあるのかどうかわからないが、日本人の琴線に触れたからこれだけ続いたのだろう。 偉い人が身分を隠し、悪事をあばき、最後は身分を明かして悪人一味に頭を下げさせる。 同じようなパターンで、遠山の金さんというのもあった。 これも似たようなもの。 遠山金四郎という南町奉行が、遊び人の格好をして悪事を暴き、最後は奉行に戻りお白州で顔を合わせ、悪人を懲らしめる。 どちらも、偉い人が身分を隠して、旅の商人やまちの遊び人という格好をするところがいいのだろう。 ただ、時代とともに飽きられてきた。 というか、そういうシチュエーションを好んだ世代が、テレビを見なくなったということかもしれない。 二つの番組に共通するのは、絶対的な権威というモノ。 それが最後は悪を懲らしめる。 水戸のご老公であったり、南町奉行であったり、当時の絶対権力だった。 そういうものが、今はなくなったというのも、関係しているのかもしれない。 警察といえど、信用できない。 政治家はもっと信用できない。 そんな不幸の時代の投影かもしれない。 世の中から、絶対的な権威が失われていった結果、水戸黄門が終わる。 これは、世の中にとって、いいことなのか…。 |
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