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2011.05.13 Friday
着物
落語研究会にいたときは、当然だが、高座に上がるときには着物を着ていた。
それまで着たことはないし、落研をやめてから30数年たつが、数回しか着たことがない。 夏の高座に上がるときは、浴衣を着て出た。 春秋冬はウールの着物だ。 帯は角帯。 足袋は白足袋だった。 ずっと後で、白足袋は特別に芸人がはくものと知った。 普通は黒い足袋だ。 そして、雪駄を履く。 雪駄は安いモノでも裏に金属が付いていた。 減るのを防ぐためだ。 歩くと、チャラチャラという音がする。 当時流行っていた、東映のやくざ映画で、高倉鍵や菅原文太などがはいていて、なじみがあった。 羽織はセットで買ったが(正確には買ってもらったが)、1回生の間は着ることはない。 羽織の紐の結び方も忘れた。 紐を上にひっぱると、紐がほどけ、そして両手で羽織の袖口をひっぱると、いい着物なら羽織がストンと落ちる。 ところが、ウールの安物だと脱ぐのに一苦労だ。 ジャンパーを脱ぐように、手を上げ下げしてやっと脱げる。 だいたい、話が始まってマクラが終わるころまでに脱ぐ、と相場が決まっていた。 高座の上はだいたい暑いものだ。 着物の下には肌襦袢を着る。 ぼくの持っているやつは、鳥獣戯画みたいな絵が描いてあった。 着物は地味なのに、襦袢は派手だ。 そんないでたちで、落語をやっていた。 なんで着物を思い出したかというと、朝のドラマで着ていたからだ。 昭和十年代はまだ着物がポピュラーだったのだろう。 主人公が正月に台所で料理をするのに、着物を着て、上に割烹着を着ていた。 まあ、今の20代の人からみれば、生まれる50年ほど前だから、知らない世界。 ぼくは昭和30年代だが、祖父、祖母は着物を着ていた。 たぶん、今でも着られると思う。 これは、着方がわかっているという意味と、身体が太っても着られるという両方の意味。 懐かしい。 |
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