考えたこと2

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着物
落語研究会にいたときは、当然だが、高座に上がるときには着物を着ていた。

それまで着たことはないし、落研をやめてから30数年たつが、数回しか着たことがない。

夏の高座に上がるときは、浴衣を着て出た。
春秋冬はウールの着物だ。
帯は角帯。
足袋は白足袋だった。
ずっと後で、白足袋は特別に芸人がはくものと知った。
普通は黒い足袋だ。

そして、雪駄を履く。
雪駄は安いモノでも裏に金属が付いていた。
減るのを防ぐためだ。
歩くと、チャラチャラという音がする。

当時流行っていた、東映のやくざ映画で、高倉鍵や菅原文太などがはいていて、なじみがあった。

羽織はセットで買ったが(正確には買ってもらったが)、1回生の間は着ることはない。
羽織の紐の結び方も忘れた。
紐を上にひっぱると、紐がほどけ、そして両手で羽織の袖口をひっぱると、いい着物なら羽織がストンと落ちる。
ところが、ウールの安物だと脱ぐのに一苦労だ。
ジャンパーを脱ぐように、手を上げ下げしてやっと脱げる。
だいたい、話が始まってマクラが終わるころまでに脱ぐ、と相場が決まっていた。
高座の上はだいたい暑いものだ。

着物の下には肌襦袢を着る。
ぼくの持っているやつは、鳥獣戯画みたいな絵が描いてあった。
着物は地味なのに、襦袢は派手だ。

そんないでたちで、落語をやっていた。

なんで着物を思い出したかというと、朝のドラマで着ていたからだ。
昭和十年代はまだ着物がポピュラーだったのだろう。
主人公が正月に台所で料理をするのに、着物を着て、上に割烹着を着ていた。

まあ、今の20代の人からみれば、生まれる50年ほど前だから、知らない世界。
ぼくは昭和30年代だが、祖父、祖母は着物を着ていた。

たぶん、今でも着られると思う。
これは、着方がわかっているという意味と、身体が太っても着られるという両方の意味。

懐かしい。



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