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2007.09.08 Saturday
初舞台
初舞台は18歳の時。
落語をした。 京都教育文化センターというところ。 300人以上入る、大きなホール。落語ブームの最後の時期。 チケットを部員20名ほどで一人40枚をノルマにして売った(ただで配った)が、いっぱいになることはなかった。 秋の寄席。 落語というのは一人でやるものだが、寄席は出演者みんなのチームプレーである。 開演前に太鼓を打つ。大太鼓としめ太鼓で、オタフクコイコイ…と打つ。 前座がにぎやかに客席を盛り上げるところから始めて、中入り前の中トリが聞かせて休憩。 中入り後の前座から、大トリ前まで盛り上げて、大トリがお客さんを納得させて終わる。 「おわーりー」の声と同時に、シメの太鼓を打ち始める。 出る順番に各々の役割がある。 当日は朝からみんなでリヤカーに看板やおはやしの道具などを積んで、歩いていく。 ぼくは「ど前座」といって、一番最初にやることになっていた。 「とにかく、元気に、にぎやかにやれ」と先輩の指示。「客を起こす」のが役割だ。 うけなくても、仕方ない。最初はお客さんの出入りもあるし、聞く雰囲気になっていないし、難しい。 とはいえ、元気に声を出していくしかないのだ。 ネタは「七度狐」。中学2年の時から好きな噺だった。夏休みから練習して、覚えた。 それこそ、電車の中でも右向いて、左向いて、もごもご言っていた。ヘンなヤツである。 着物に着替えて、下座で待つ。 帯を締めて、お腹をポンとたたくと、何となく気が落ちつく。 手ぬぐいと扇子を持って、待っていた。 どんちょうが上がって、部長が口上を言う。「すみからすみまで、ずずずぃーっと、乞い願いたてまつりまーす」と頭を下げる。 そこで、いよいよ自分の出囃子が鳴る。 下手から歩いて、座布団の手前に行って、一礼し、座って頭を下げて、顔を上げたら、もうしゃべらないとイケナイ。 「えー、しばらくのあいだ、お付き合いをねがっておきますが…」決まり文句で始まった。 20分弱のネタだった。途中、おはやしが入ったり、お化けが出てきたり…、面白い噺。 ところどころで笑い声が聞こえる程度だった。 テープはあるが、ほとんど聞いたことがない。 中学の頃から落語をやりたくてできず、5年越しの夢が叶った。 ネタは忘れてしまったが、終わった後の気持ちと、顔を上げて見えた客席の様子は今でも覚えている。 初舞台だから緊張するというワケでもないと思う。 何度かやっていると、もっと緊張することがわかった。 あんな経験はもう無いだろうが、楽しかった。 最後にお客さんが出ていくところで、みんなで頭を下げて、「ありがとうございました」と大声で言う。 先輩と一緒に、その列に並んでいることが、誇らしかった。 1975年の秋のこと。ユーミンのコバルトアワーが出た年だった。 若かったなあ。 |
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