考えたこと2

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初舞台
初舞台は18歳の時。

落語をした。
京都教育文化センターというところ。
300人以上入る、大きなホール。落語ブームの最後の時期。
チケットを部員20名ほどで一人40枚をノルマにして売った(ただで配った)が、いっぱいになることはなかった。

秋の寄席。

落語というのは一人でやるものだが、寄席は出演者みんなのチームプレーである。

開演前に太鼓を打つ。大太鼓としめ太鼓で、オタフクコイコイ…と打つ。

前座がにぎやかに客席を盛り上げるところから始めて、中入り前の中トリが聞かせて休憩。
中入り後の前座から、大トリ前まで盛り上げて、大トリがお客さんを納得させて終わる。

「おわーりー」の声と同時に、シメの太鼓を打ち始める。

出る順番に各々の役割がある。

当日は朝からみんなでリヤカーに看板やおはやしの道具などを積んで、歩いていく。
ぼくは「ど前座」といって、一番最初にやることになっていた。
「とにかく、元気に、にぎやかにやれ」と先輩の指示。「客を起こす」のが役割だ。
うけなくても、仕方ない。最初はお客さんの出入りもあるし、聞く雰囲気になっていないし、難しい。
とはいえ、元気に声を出していくしかないのだ。

ネタは「七度狐」。中学2年の時から好きな噺だった。夏休みから練習して、覚えた。
それこそ、電車の中でも右向いて、左向いて、もごもご言っていた。ヘンなヤツである。

着物に着替えて、下座で待つ。
帯を締めて、お腹をポンとたたくと、何となく気が落ちつく。
手ぬぐいと扇子を持って、待っていた。

どんちょうが上がって、部長が口上を言う。「すみからすみまで、ずずずぃーっと、乞い願いたてまつりまーす」と頭を下げる。

そこで、いよいよ自分の出囃子が鳴る。

下手から歩いて、座布団の手前に行って、一礼し、座って頭を下げて、顔を上げたら、もうしゃべらないとイケナイ。

「えー、しばらくのあいだ、お付き合いをねがっておきますが…」決まり文句で始まった。

20分弱のネタだった。途中、おはやしが入ったり、お化けが出てきたり…、面白い噺。
ところどころで笑い声が聞こえる程度だった。
テープはあるが、ほとんど聞いたことがない。

中学の頃から落語をやりたくてできず、5年越しの夢が叶った。

ネタは忘れてしまったが、終わった後の気持ちと、顔を上げて見えた客席の様子は今でも覚えている。

初舞台だから緊張するというワケでもないと思う。
何度かやっていると、もっと緊張することがわかった。

あんな経験はもう無いだろうが、楽しかった。

最後にお客さんが出ていくところで、みんなで頭を下げて、「ありがとうございました」と大声で言う。

先輩と一緒に、その列に並んでいることが、誇らしかった。

1975年の秋のこと。ユーミンのコバルトアワーが出た年だった。

若かったなあ。



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