考えたこと2

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時代劇
ウチの子どもたちを見ていて、ぼくの頃と大きく違うことの一つが、時代劇をほとんど見ないことだ。
見ようにも、番組が無い。

ぼくらの子どもの頃は、まだまだ時代劇がたくさんあった。

水戸黄門、遠山の金さん、大岡越前、眠狂四郎、鬼平犯科帳、暴れん坊将軍、桃太郎侍…。
子ども向けの忍者ものもあった。伊賀の影丸、風のフジ丸、サスケ、赤影…。
宮本武蔵、佐々木小次郎、柳生十兵衛、猿飛佐助などの名前は、たくさんの子どもがテレビやマンガを通じて知っていた。

昭和40年代、一週間のうち、3日くらいは時代劇をゴールデンタイムにやっていたのではないか。

今は水戸黄門が続いているだけか。
NHKの大河ドラマも、まだ江戸以前の時代劇がある。

ウェスタンと同じく、勧善懲悪。正義は必ず勝つ、というワンパターンだった。

水戸黄門など、わざわざ太刀回りなどしなくても、印籠をだせばすぐに解決できそうなものだが、一通り太刀回りがあって、「助さん、角さん、もういいでしょう」という声がかかるまで、無用な戦いをする。
見ている方はこれが楽しみで見ているのだから、仕方ない。
「ここにおわすお方をどなたと心得るか、先の副将軍、水戸のご老公にあらせられるぞ、みなのもの頭が高い…」という助さん、角さんの決めぜりふが出たら、一同が「へへー」と土下座する。
「人生 楽ありゃ 苦もあるさ…」というボレロ調のテーマソングが流れて、おしまい。
今でも変わらない、偉大なるワンパターン。

遠山の金さんは、「この桜吹雪が目にへぇらねぇのかい」と肩の入れ墨を見せるのが決め。

みんな、決めぜりふや、決めのパターンがあった。

里見八犬伝の映画など、最近あったが、どちらかというとファンタジー調になっている。
勧善懲悪が流行らなくなって、時代劇も廃れた。

時を同じくして、ヤクザ映画も廃れていったような気がする。これも、ある意味で勧善懲悪のストーリーだった。主人公がガマンにガマンを重ねて、最後に悪いヤクザをやっつけて去っていく…というパターン。

昭和任侠伝という新作落語を、亡くなった桂春蝶がやっていたのが、昭和50年代か。
ぼちぼち、ヤクザ映画が下火になってきた頃に、落語になったのだろう。
今、あの落語をやっても、若い人にはわからないだろうなあ。

アメリカのウェスタンもなくなった。
これは、インディアンという先住民を悪者にするという事への批判があったのだと思う。
決闘ものは残ったが、マカロニウェスタンにおされて、伝統的なウェスタンはなくなっていった。

時代劇やウェスタンがなくなっていったことと、世の中のだれもが「良い」と思うことが分散してしまったことは、根っこの部分でつながっているのではないか。

公害や交通事故、汚職、ベトナム戦争、東西冷戦…。

そんな世相の中で、時代劇は減っていき、経済成長することが良いことなのか、資本主義は良いことなのか…、大臣はエライ人なのか、学校の先生はエライのか、役人はエライのか…わからなくなってしまった。

時代劇が復活することはもうないだろう。
バラエティ番組に駆逐されてしまった。
まるで、バカであることが一つの「売り」とされたり、誰かをいじめて面白がったり、それがもてはやされる…そんな時代になってきたのかな。

それは、いいことなのだろうか。

そうは思えないのだが…。



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