考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< April 2025 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
笑える文章
小学校の頃、ギャグマンガで笑ったことはあるが、小説やエッセイの類で声を出して笑ったことはなかった。

生まれて初めて、本を読んで笑ったというと、筒井康隆の短編集。
ドタバタの短編だった。
小説で声を出して笑うということが、すごく新鮮な感覚だった。

それ以降、田辺聖子の短編や高島俊夫のコラムなどで声を出して笑ったが…。
書いたもので笑う、というのはめったにないことだ。
泣くことよりも、笑うことの方が少ない。

そういえば、東野圭吾という小説家も、笑わすことは一段低く見られているが、泣かすことよりも難しい…というようなことを言っていたと思う。

また、昨日の続きになるが、「笑い」というのは「場」に依存することが多い。
その時のメンバー、その時の雰囲気、そこに行きつくまでの時間…、そんなものが融合して、「すごく面白いこと」につながっていく。

その場にいた人になら、後日そのことを書いて、笑わすことはできても、全くその場を知らない人を笑わすことは難しい。

だから、書いたものではそう簡単には笑えない。
落語や漫才の台本など、読んでも全く面白くない。
台本を読んで笑えるなら、誰がそれを演じても、面白いということになってしまうだろう。実際には演者によって、面白くなったり、そうでなかったりするのだ。

それこそ、行間の間とかセリフのテンポとか、技術的なことも考えないといけないと思う。
(文章で笑わすことに価値を見出さなければ、アホらしくてできないだろう。)

そんなことも、考えさせられた。

また、今日も座談会の記録の校正を続ける…。


| | 考えたこと | 21:27 | comments(0) | trackbacks(0) |

コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://hdsnght1957kgkt.blog.bai.ne.jp/trackback/233338
トラックバック