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2007.09.30 Sunday
笑える文章
小学校の頃、ギャグマンガで笑ったことはあるが、小説やエッセイの類で声を出して笑ったことはなかった。
生まれて初めて、本を読んで笑ったというと、筒井康隆の短編集。 ドタバタの短編だった。 小説で声を出して笑うということが、すごく新鮮な感覚だった。 それ以降、田辺聖子の短編や高島俊夫のコラムなどで声を出して笑ったが…。 書いたもので笑う、というのはめったにないことだ。 泣くことよりも、笑うことの方が少ない。 そういえば、東野圭吾という小説家も、笑わすことは一段低く見られているが、泣かすことよりも難しい…というようなことを言っていたと思う。 また、昨日の続きになるが、「笑い」というのは「場」に依存することが多い。 その時のメンバー、その時の雰囲気、そこに行きつくまでの時間…、そんなものが融合して、「すごく面白いこと」につながっていく。 その場にいた人になら、後日そのことを書いて、笑わすことはできても、全くその場を知らない人を笑わすことは難しい。 だから、書いたものではそう簡単には笑えない。 落語や漫才の台本など、読んでも全く面白くない。 台本を読んで笑えるなら、誰がそれを演じても、面白いということになってしまうだろう。実際には演者によって、面白くなったり、そうでなかったりするのだ。 それこそ、行間の間とかセリフのテンポとか、技術的なことも考えないといけないと思う。 (文章で笑わすことに価値を見出さなければ、アホらしくてできないだろう。) そんなことも、考えさせられた。 また、今日も座談会の記録の校正を続ける…。 |
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