考えたこと2

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ミッション
内田樹の最終講義という本を読んでいる。

今年の3月で、神戸女学院をやめた内田先生の最後の講義を筆頭に、いくつかの講演を収めた本。

その中に「ミッションスクールのミッション」という表題の講演がある。
これは大谷大学に呼ばれて講演を行ったもの。

神戸女学院は、明治の初めに神戸に来た宣教師の女性が建てた学校だ。
その当時は、この学校で「何が学べるのか」は生徒にとってはわからなかった。
それこそが大事だと内田先生は言う。
学生たちは「もうわかったもの」を学びに来るのではない。
わからない「何か」を学びに来る。
そういう教育の「非対称性」こそが重要だという。
未だに、亡くなった卒業生から、「自分を形作ったのはこの学校だった」と寄付が来るという。

今の大学は「これが学べます」というメッセージばかりだ。
4年間でこういう資格が取れますとか、4年間の学びの結果こういう人になれますとか…。
電車の中の吊り広告は、いつの間にか大学ばかりになった。
すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる、ということがわからないのか。

学生の方もこれを学んで「なんの役に立つのか?」というメッセージをなげかける。
教育の消費者になっている。

内田先生はそもそも大学で教えるものは、未知のものであり、それが将来どんな役に立つかなどわからないものだ、という。
先生自身が、学生にとって、それがなんの役に立つかなどわからない。
高校までの知の体系を組み替えるようなものだ。

人文社会科学系の学問にとっては、そういうものかもしれない。

自然科学で扱う「事実」と違って、人文社会系の学問が扱うのは「人間」である。
文学や哲学、倫理学、経済学、法学、社会学などの学問。

それらの学問は、「人間を知る」ことが目的である。

だから、何のために人間を知るのか、というミッション、使命が必要だ。
人文社会科学を学ぶ目的を自ら立てなければならない。

今の大学は経済原理の中で動いている。
それは資本主義のなかで、仕方がないものだが、教育の目的を逸脱して、大学が功利的なメッセージを出すようになったらおしまいだ。
それを排して、ミッションを明らかにして、それで学生が来なければ、潔く学校をたたむことだ。
そういう潔さが、大学には必要だと内田先生は言う。

そういう思いでいる学校法人がいくついるだろうか。

今の中吊り広告を見ていると、残念ながらほとんどないと思う。


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