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2009.05.04 Monday
大人の値打ち
人生で経験できることは、そんなに多くない。
小学校や中学校、高校、大学などは一つしか行けない。 転校はできても、同じ学年は落第しないかぎり二度とできない。 そこで知り合う友だちも限りがある。 場所だって、何ヵ所も変わる人は稀だろう。 会社も通常は一つか二つ…。 それ以外は、経験できない。 仕事の種類はそれこそ山のようにあるが、そのごく一部だけを経験する。 家族にしても、自分を生んだ母親と父親、兄弟姉妹、祖父祖母など、限定される。 それ以外の家族は持てない。 そこで得る経験は自分にとってはたくさんあるが、今は核家族化してそのバリエーションは膨大になった。 そう考えてみると、人間はみんな同じような経験をして大きくなるとはいうものの、その幅は知れている。 いうほど自分の経験の幅は広くないのだ。 それでも、今までは年寄りになると、多くの経験をした人だと世間が認めていた。 酸いも甘いもかみ分けた…というような表現もあるし。 亀の甲より年の功という言葉もある。 人生の悩みは、年寄りに相談して…、ということになっていた。 今はそんなことはない。 昔とは違うから、今の人は年寄りに聞いてもしかたないと思っている。 IT化や多様な雇用形態、そして高度成長が終わった時代。 だから聞いてもムダなのか。 そうでもあるし、そうでもないと思う。 経験の幅はそんなに広くない。 IT化されて変わった部分は、わからないかもしれない。 でも、そんなものに左右されない、根本の部分があるだろう。 それこそ、何のために生きるのかというようなものだ。 それは、変わらない。 それを考えている大人がどれだけいるか、という問題は残る。 |
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