考えたこと2

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小学校の算数
一昔前、分数のできない大学生という本が売れた。
世の中の人は、みんなビックリしただろう。
今は誰もビックリしない。そんな大学生が普通にいる。
(今でも、ホントかな?と思っている人はいるかもしれない。)

1/2+1/3=2/5という計算。
分子、分母同士を足す。
もちろん、そんな大学生ばかりではない。
でも、たくさんいるのは事実。

そして今はパーセントが分からない。
1000円の10%はいくらか…、わからない。
だから、セールに行っても全品20%引きなどと書いてあっても、実際にいくらになるか分からない。
店の方もそれが分かっているから、赤字で書いてあったりする。
もちろん、1割、2割もわからない。
1500円の1割引がいくらなのか、不明なのだ。
もう一度言うが、もちろんそんな大学生ばかりではない。
でも、相当数の大学生が本当にわからないのだ。

イチローの打率が3割と聞いても、それがどういう意味を持つのかわからない。
よく打つ、という事だ…と理解しているのだろう。
3割ということは、だいたい3回打ったら1回はヒットという意味はわからないのだ。

文系で、高校1年で数学を終わったから、という説明をする人がいるが、そんな高度なものではない。
小学校の算数である。

もちろん、そんなことは知らなくても、社会に出て勉強すれば、すぐにわかる。
勤め先でちょっと恥をかけばいいだけだ。
でも、そんな問題ではない。

この学生たちは小学校で算数をつまずいたまま、大きくなった。
算数は積み上げだ。
社会や理科はどこかでつまずいても、取り返しがきく。
どこかを飛ばしても、独立しているのだ。
でも、算数はリカバリーができない。

算数・数学は人類が太古の昔から、すこしずつ積み上げてきた学問だ。
新しいことを理解するためには、かならず古いことを知っている必要がある。
だから、あの学生たちは、小学校でつまずいて、そのままだったのだ。
パーセントの計算をするためには、小数や分数の知識がいる。
それがなかったのだろう。

そんなことが起こっている。
小学校で習うべき事が、中学、高校と見過ごされて、大学まで来ている。
小学校以降、数学の授業が何時間あったことだろう。
その時間、彼らはどんな気持ちで授業に向かっていたのだろう。
中学や高校の先生は何も気づかなかったのか…。
気づいてもほったらかしだったのか…。

小学校の算数は大事だ。
そんなことは先生が分かっているはずだが、本当に分かっているだろうか。

何でも相対評価をするから、分数ができなくても、ちょっと頑張っていたら、評価は3以上。
その人なりに頑張っている…、ということになる。
でも、いくらその人なりに頑張っていても、できないものはできないと評価しないと、それをやり直すことができない。
絶対値で「分数の約分と通分はできるようになる」、という評価体制が必要だ。

そんな大事なことを、中教審や教育再生会議はわかっているのだろうか。
小学校の先生ができないなら、算数は教科担当にすべきだ。

算数や数学など、できなくても日常生活でこまらない、というレベルではない。

算数、数学は抽象的な概念を操作するという知的な訓練になる。
そういう訓練をしていない人が、みんな国会議員になって、今の日本になっている。

今の日本を変えるために、小学校の先生は頑張らないといけない。
これは本当にそう思う。

何度も言うが、できないなら、教科担当を置くべきだ。

本当に算数の面白さを語れる人が教科担当になれば、日本はよくなると思う。



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