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2006.09.30 Saturday
Kさんのこと
数年前、ふとした縁でKさんと知り合った。
きれいな大阪弁を話す、細くてやさしい人だ。 設計士で、苦労人。一度、少し離れたところにある、クラゲを見ながら酒を飲むというバーに連れて行ってくれた。 水槽の中には、無数のクラゲが漂っていて、幻想的な気分になれる。 そのお店を作るのにかかわった…と飲みながら話していた。 知り合ってから2年くらいたって、実は…と切り出したのを覚えている。 自分は胃ガンだったとのこと。 「そうだったんですか。それで、痩せているんですか?」 「いやいや、もともとですわ。」 Kさんにお願いしていた仕事もあったので、話しておこうという気になったとのこと。 もとは、大きな建築会社で働いていたが、すぐに独立し、大阪で仲間と仕事を始め、さらに、一人で神戸に事務所を開いた、という人だ。 一匹狼、というには優しすぎる人だった。 「コンピューターはやっぱり必要でしょうかね?」 「そら、今どき、コンピューターは要るでしょう。」 そんな話もした。 ちょうど会社でCAD(コンピューターを使った製図)にからんだ仕事をしていたので、僕がそのことを力説すると、若い人にそれを覚えさせたとのこと。 「ボクはやっぱり紙と鉛筆ですワ。」 夜遅く、紙に向かって、うなる。苦しい時間もあっただろう。無から有を生み出す仕事だから。 「来るときは、突然来るんですワ」 いいアイデアは苦しまないと、出てこない、と言う。 それが、本当の産みの苦しみなんだろうな、と思った。 3年ほど前に、仕事の事で、色々と話を聞いてもらった。 「思うようにやらはったら、エエのとちゃいますか…」 ちびちびと日本酒を飲みながら、ほとんど食べず、話していた。 ホントに酒好きだった。 去年、一度飲みに行こうという話になったが、仕事を併行して抱えており、大変なので落ちついたら…というメールが来た。 一度現場が始まると、1年単位で仕事が続く…そんな商売だ。 この建築関係の不景気に、よろしいなぁ、と言うと、貧乏暇無しという返事だった。 今までの苦労が報われる時が来たんだろう。 今年になってから、体調が良くないので、しばらく入院していた…とのメールがあり、治ったら行きましょう、という返事を書いた。 その時には、大したことはない、という事だった。 ついこないだ、ウチに来たのだが、僕は会えなかった。 家人によると、痩せて、しんどそうだったとのこと。 どうしたのかな…、と電話をかけても、出ない。 どうも、悪いらしいが、口止めされている…という事だった。 そして、9月28日にKさんは逝ってしまった。 見慣れたセーター姿の写真だった。 葬儀場には、Kさんの作品のスケッチや写真が飾られていた。 二度目のガンと闘って、負けたのだ。 作ったものは、人のもので、自分のものではない…とKさんは言っていた。 方丈記にあるように、日本人の住み処はこの世での仮の住まい…という諦観があったと思う。 いつまでも残るものではない、というような思いがあったような気がした。 それだからか、Kさんは、格好の良さだけではなく、使う人の身になって考える人だった。 僕といくつも違わない。 五十年ちょっとの人生だ。 「二十年早いですわ」 知り合いの電気屋さんが言っていた。 天がKさんの才能に嫉妬したのか…。 きっと、今ごろは、空の上から自分の作った建物を見て、「もうちょっと、ここ、こないしといたらよかったなあ」などと言っているに違いない。 さようなら。 いろいろ、お世話になりました。 |
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