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2006.09.30 Saturday
写真
最近、白髪も増えたし、自分の姿をたまに鏡で見ると、年をとったことがわかる。
でも、もっと年をとったなあと思うのは、成長した子供の写真を見たときだ。 なぜか、自分にもこんなときがあった、と思うようになった。 子供がある程度大きくなって、手を離れたからだろうか…。 小学生のときは、あまり思わなかったが、子供が中学生、高校生になると、そんなふうに思いはじめる。 そこから、逆に考えて、自分の年を感じるのだ。 たんに年をとったと感じるだけでなく、そこには何ともいえない哀愁がある。 そこには、もう戻れない…という感覚だ。 意識では、別に、中学生や高校生に戻りたいとは思わない。 苦労してこの年まで生きてきたのだ。 それでも、哀愁を感じるのはなぜだろう。 ひょっとしたら、年をとるとともに、失ってきたものを思うからだろうか。 何だかわからないエネルギーを持った気持ち。 自分とは何ものだろうという疑問や、無限と思えるような未来、わかっているようで、まったくわかっていない若さ…。 自分がそれらをなくしてきた、ということが哀愁を呼ぶのか、それとも、彼らがこれからそれらを失っていくことに哀愁を覚えるのか。 若いということは、素晴らしいことでもあるが、哀しいことでもあるのかもしれない。 失ってしまったものは、強い。失うものがなくなっているのだから。 これから大人になろうとしている子供の写真を見て、そんなことを思った。 子どもたちが大人になって良かったと思えるように、大人は頑張らないと…。 |
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