考えたこと2

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Sonyは誇りだった
小学校の頃、日本はまだ今のように国際的に認められた国ではなかった。

アメリカからの輸入ドラマをゴールデンタイムにテレビで見て、大きな冷蔵庫やスポーツカー、かっこいいビルディングなどに日本人みんなが憧れていたような時代だったと思う。

海外旅行なんて、なかなか行けるものではなかった。法事で親戚一同が集まっても、一族郎党で海外旅行に行ったことのある人など、いなかった。

ウチは親父が繊維商社に勤務していたので、たまに海外の硬貨など持って帰ってくると、喜んで見ていたものだ。

吉田茂首相が「もはや戦後ではない」と言ったのが昭和31年。
でも、まだ昭和40年そこそこの時期は、今とは比べものにならないほど、貧しかった。
(このころの写真は白黒だったし、よく毛糸のセーターをほどいて、母が編み直していたことを思い出す。毛糸もリサイクルしていたのだ。)

でも、日本は欧米に追いつくんだ、という勢いがあったし、こないだ書いたが、資本主義と社会主義という軸があり、社会に緊張感があった。

そのころの話。

小学校の5年か6年の頃だったと思う。
先生が授業の中で、「アメリカ人は、ソニーを自分の国の会社だと思っている。それくらい、アメリカで有名だということだ。そして、ソニーが日本の会社だというと、びっくりするらしい。」と話した。
それを聞いて、生徒はみんな、ソニーはすごい、と思ったし、誇らしく感じた。
先生も、ちょっと誇らしげに話していた。
授業の内容は全く覚えていないが、この話だけはよく覚えている。

憧れのアメリカで、日本の会社が有名なのだ。

昭和30年代後半、「トランジスタ」と言えば、「トランジスタラジオ」の事だったし、それはソニーが一番だった。
(トランジスタという言葉ももう死語か…)

Sonyのブランドに、僕らは勇気づけられたのだ。

新聞では、ソニーの電池で発火という事で記事が出ているし、業績そのものも調子が良くない。

でも、なんとか挽回して、ソニーの意地を見せてほしいものだ。

Sonyは小学生の誇りだったのだから。



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