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2005.08.13 Saturday
墓参り
時節柄、墓参りのシーズンである。
うちも、今日、2年半ほど前に亡くなった父の墓参りに行ってきた。 お盆というのは、亡くなった人があの世から戻ってきて、家族と一緒に過ごす、という事になっているらしい。 墓に参って掃除をして、花を生け、線香をあげ、手を合わす。 それだけだ。 その後、集まった親戚で食事をしたりする。 その席で、必ずしも亡くなった人の思い出話が出るわけでもない。(不信心なのか・・) 父が亡くなったとき、自分もいつかは死ぬ、ということを意識した。 その時から、きっと一般的には、同性の親が亡くなると、人は死を意識するのではないか?と思っている。 それまでは、誰かの葬式に出ても、自分はこちら側の人、亡くなった人はあちら側の人という事で、「亡くなる」という事は遠い向こうにあったような気がする。 でも、その時以降、あちら側が近くなった。 あちら側も、そんなに遠くない、という気がするようになったのだ。 別に、四六時中そう思っているわけではないが。 ただ、そう思うと、いろんな事が変わってくる。 いつかは・・しよう、と思うのはちょっと苦しいなあ、と思いはじめる。 いつかではなくて、早めにやっとかないといけない、などと思う。 時間には限りはないが、自分の時間には限りがある、ということだ。 墓参りに行くと、また、そのことを思う。 でも、別に暗くなるわけではない。 厭世的になるわけでもない。 ただ、自分の時間には限りがある、という事を意識する。 それは、墓参りの効能なのかもしれない。 |
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