考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< August 2005 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
+SELECTED ENTRIES
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
墓参り
時節柄、墓参りのシーズンである。
うちも、今日、2年半ほど前に亡くなった父の墓参りに行ってきた。

お盆というのは、亡くなった人があの世から戻ってきて、家族と一緒に過ごす、という事になっているらしい。

墓に参って掃除をして、花を生け、線香をあげ、手を合わす。
それだけだ。

その後、集まった親戚で食事をしたりする。

その席で、必ずしも亡くなった人の思い出話が出るわけでもない。(不信心なのか・・)

父が亡くなったとき、自分もいつかは死ぬ、ということを意識した。
その時から、きっと一般的には、同性の親が亡くなると、人は死を意識するのではないか?と思っている。

それまでは、誰かの葬式に出ても、自分はこちら側の人、亡くなった人はあちら側の人という事で、「亡くなる」という事は遠い向こうにあったような気がする。
でも、その時以降、あちら側が近くなった。
あちら側も、そんなに遠くない、という気がするようになったのだ。
別に、四六時中そう思っているわけではないが。

ただ、そう思うと、いろんな事が変わってくる。
いつかは・・しよう、と思うのはちょっと苦しいなあ、と思いはじめる。
いつかではなくて、早めにやっとかないといけない、などと思う。
時間には限りはないが、自分の時間には限りがある、ということだ。

墓参りに行くと、また、そのことを思う。
でも、別に暗くなるわけではない。
厭世的になるわけでもない。
ただ、自分の時間には限りがある、という事を意識する。

それは、墓参りの効能なのかもしれない。

| | 考えたこと | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) |