考えたこと2

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人の年齢
人生100年時代という言葉を作った「LIFE SHIFT」の作者がその続編を出した。
そこでは「人間の年齢」にメスを入れているらしい。
ぼくであれば、64歳というのが今の年齢だが、それは暦年齢。

それ以外にも、肉体がどれくらい若いかという「生物学的年齢」、社会でどのように扱われているかという「社会的年齢」、自分がどのくらい老いている、もしくは若いと感じているか、という「主観的年齢」の3つが挙がっている。

生物学的年齢に関しては、肉体の老いもあるが、精神の老いも考えるべきだと思う。
肉体は老いても精神は若いとか、逆もあり得る。
ぼくは基本的に運動は嫌いだし、インドア派だから肉体は老いている。
暦年齢よりも上だろう。
しかし、流行にも比較的ついて行っているし、商売柄若い人と話す機会も多く、精神的には若いはず。

最近は肉体の老いが進み、ちょっと歩くと足が痛くなったり、走るのがおっくうになった。
老眼も進んだし、夜中にトイレに行く回数も増えた。
突然肩や腕が痛くなることがある。
老いを自覚するというのはこういうことだ。

これが進むと、精神的な若さも保てない。
生活の全てにかかわるのが、肉体的な老いだ。
なんとか防がないといけない。

社会的年齢については、文字通り社会とのつながりが大きいだろう。
仕事をしているか、社会的な活動をしているかなどがファクターだ。
この3月で65歳になるが、ちょっと減っても継続はできるはず。
そのために、資格も取ったし、準備もしてきた。

それがなくなっても、体力があればギターの教室も続けるつもり。
逆にいうと、ギターも弾けなくなったら、何を楽しみにしたらいいのだろうと思う。
できれば、それ以外に何か社会的な活動に手を付けるべきなのかとも思う。
何かのボランティアか、それともオンラインでできる仕事か…。
そういうものがあれば、社会的年齢は老いにくい。

主観的年齢というのは難しい。
自分が若いと思うか、老いたと思うかは、生物学的年齢や社会的年齢に影響されるからだ。
もうこの年になって、自分の見栄で若いなどとは思わない。
ただ、主観的年齢が若いということは、若くありたいと思うことだから、活動的にはなると思う。
そう思えば意外と大事かもしれない。
要するに、すべてのモチベーションの元だ。

老いるということは相対的なものなのだ。

そうならないように、頑張ろう。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:46 | comments(0) | trackbacks(0) |