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2022.01.21 Friday
人の年齢
人生100年時代という言葉を作った「LIFE SHIFT」の作者がその続編を出した。
そこでは「人間の年齢」にメスを入れているらしい。 ぼくであれば、64歳というのが今の年齢だが、それは暦年齢。 それ以外にも、肉体がどれくらい若いかという「生物学的年齢」、社会でどのように扱われているかという「社会的年齢」、自分がどのくらい老いている、もしくは若いと感じているか、という「主観的年齢」の3つが挙がっている。 生物学的年齢に関しては、肉体の老いもあるが、精神の老いも考えるべきだと思う。 肉体は老いても精神は若いとか、逆もあり得る。 ぼくは基本的に運動は嫌いだし、インドア派だから肉体は老いている。 暦年齢よりも上だろう。 しかし、流行にも比較的ついて行っているし、商売柄若い人と話す機会も多く、精神的には若いはず。 最近は肉体の老いが進み、ちょっと歩くと足が痛くなったり、走るのがおっくうになった。 老眼も進んだし、夜中にトイレに行く回数も増えた。 突然肩や腕が痛くなることがある。 老いを自覚するというのはこういうことだ。 これが進むと、精神的な若さも保てない。 生活の全てにかかわるのが、肉体的な老いだ。 なんとか防がないといけない。 社会的年齢については、文字通り社会とのつながりが大きいだろう。 仕事をしているか、社会的な活動をしているかなどがファクターだ。 この3月で65歳になるが、ちょっと減っても継続はできるはず。 そのために、資格も取ったし、準備もしてきた。 それがなくなっても、体力があればギターの教室も続けるつもり。 逆にいうと、ギターも弾けなくなったら、何を楽しみにしたらいいのだろうと思う。 できれば、それ以外に何か社会的な活動に手を付けるべきなのかとも思う。 何かのボランティアか、それともオンラインでできる仕事か…。 そういうものがあれば、社会的年齢は老いにくい。 主観的年齢というのは難しい。 自分が若いと思うか、老いたと思うかは、生物学的年齢や社会的年齢に影響されるからだ。 もうこの年になって、自分の見栄で若いなどとは思わない。 ただ、主観的年齢が若いということは、若くありたいと思うことだから、活動的にはなると思う。 そう思えば意外と大事かもしれない。 要するに、すべてのモチベーションの元だ。 老いるということは相対的なものなのだ。 そうならないように、頑張ろう。 |
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