考えたこと2

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海外出張2
昨日の続き。

1986年というと、メキシコでワールドカップがあった年。
この年にフランスに長期出張に行った。
これは何度か書いているが、もう一度書く。

この時はトータルで3ヶ月ちょっとだった。
これが一番長い海外経験。
29歳だった。
この時は本当に行くのがイヤだったが、それでも行けと言ってくれた当時の上司に今は感謝している。

日本とフランスの言葉や文化のギャップに参った。
フランスは個人主義の国だ。
工場の受付の女性が朝の6時から出勤して、3時に帰る。
お客さんが来ていても、受付はいない。
そういうことも許されるのが、本当の個人主義の国だ。
そして、フランスの大卒はいきなり課長になるというのもビックリした。
とにかく頭がいい。
こちらが知っていることを伝えると、それはこういうことか、と言ってこちらがビックリするようなグラフを描く。
彼らはホントにスルドイ。

フランスからイギリスに出張に行った。
ドーバー海峡をはさんですぐ近所の国なのに、運転マナーが全く違う。
イギリス人の礼儀正しさに驚いた。
内心はわからないが、イギリス人はフランス人よりも日本的で親切だ(これには異論があるだろうが…。)
日本人が行って、気があうのは圧倒的にイギリスだろうと思う。
夏目漱石がロンドンで精神的に参ったというが、これがフランスだったら、もっとおかしくなっていたかもしれない。
イギリス人のユーモアもわかったし、何となくイギリス人の手堅さも感じた。
フランスとはだいぶ違う。

しかし、ヨーロッパは本当に緯度が高い。
だから夏場は10時くらいまで明るい。
いい季節だ。
6月の半ばから8月の中旬までが前半で、向こうのバカンスで一時帰国して、盆明けから後半10月までの3ヶ月ちょっとを過ごした。

言葉の壁も大きかったし、いろんな笑い話もある。
しかしこの3ヶ月は、ぼくにとっては大きな体験になった。


| | 考えたこと | 23:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
海外出張
海外出張には、以前の会社で何度か行かせてもらった。

行かせてもらったのはベルギー、オーストラリア、フランス、イギリス、香港、中国、アメリカ、カナダ、ルクセンブルグ。

最初のベルギーは当時の課長の鞄持ちで行った。
当時の会社はまだ余裕があって、入社2年目のぼくでも連れて行ってくれた。
若手育成の一環だ。1980年だったと思う。

1週間の予定だったが、問題が解決せず、1週間延びた。
帰りの安いチケットを放棄して(安い切符はキャンセルできないということをこのとき知った)、片道の帰りの便を予約したら一番安いのが大韓航空だった。
当時の大韓航空はIATAに加盟していなくて、事故が起こっても補償は保証できないとか言われた。
懐かしい。
まだこの頃はソ連の上空を飛べず、ヨーロッパに行く便の北回りはアンカレッジでいったん給油のために着陸していた。
アンカレッジに着いたら、うどん屋があって、日本人の客目当てで営業していたのにびっくりした。
何せ初めての海外で、言葉は分からず、どうにもならなかったのを覚えている。
ベルギーからドイツに行って、ドイツのホテルでデザートにアイスクリームを頼んだら、洗面器みたいな容器にいっぱい出てきて、おまけに生クリームが山ほどかかっていて難儀をした。
一緒に行った課長がアウトバーンでベンツに乗って200km/hを出して、「200キロや!」と喜んでいたのが印象的だった。
アウトバーンの橋には戦車のマークがあって、一度に何台戦車が通れる、という表示だと聞いて、これまたびっくりした。
まだ冷戦の世の中だったから、当然か。
ドイツの仮想敵国はドイツ(東)だったし、その後ろ側にはソビエト連邦があった。
日本は島国でよかったと思った。
まだまだジェームス・ボンドの世界が現実にあった頃だ。
それから考えると、平和になったと思う。

その次のオーストラリアは設計にいた頃。1985年だった。
設計、実験、サービスの3人でメルボルンに行った。
ぼくが一番若くて、事前の連絡や手配を全部やって、大変だった。
この時は20日間くらいだったか。
現地法人のオーストラリア人がすごく親切で、自分たちのことのように関わってくれたのが、すごく思い出に残っている。
メルボルンから北に数百キロ離れたところまで行き、そこで仕事をした。
毎晩接待で、ディナーに2時間以上かかるのには閉口した。
それが終わってから、その日の結果をまとめて、作戦を立てないといけない。
毎晩夜中までホテルで仕事をした。

オーストラリアは近いと思っていたが、意外と遠かった。
シンガポールのチャンギ国際空港でトランジットして、メルボルン着だった。
とにかく空港が大きくて、成田など比べものにならないと思った。
圧倒的に広くてきれいだった。
今やアジアのハブと言われているが、85年当時から立派だった。
このときはメルボルンで本場のウールのスーツを買った。
2万円くらいだったと思う。
当時は痩せていたと痛感する。
今は太って着られないが、いつかまた着られるようになりたいと思って、捨てられない。

フィリップアイランドだったか、ペンギンを見に行ったり、大きなカキをたらふく食べたり…。

1回目はエライ人の鞄持ちだったが、2回目のオーストラリアは若いとはいえ仕事の経験も積んでいくらか余裕ができてからの出張だったので、言葉も通じて楽しかったのを覚えている。

続きはまた今度。

| | 考えたこと | 00:31 | comments(0) | trackbacks(0) |