考えたこと2

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海外出張
海外出張には、以前の会社で何度か行かせてもらった。

行かせてもらったのはベルギー、オーストラリア、フランス、イギリス、香港、中国、アメリカ、カナダ、ルクセンブルグ。

最初のベルギーは当時の課長の鞄持ちで行った。
当時の会社はまだ余裕があって、入社2年目のぼくでも連れて行ってくれた。
若手育成の一環だ。1980年だったと思う。

1週間の予定だったが、問題が解決せず、1週間延びた。
帰りの安いチケットを放棄して(安い切符はキャンセルできないということをこのとき知った)、片道の帰りの便を予約したら一番安いのが大韓航空だった。
当時の大韓航空はIATAに加盟していなくて、事故が起こっても補償は保証できないとか言われた。
懐かしい。
まだこの頃はソ連の上空を飛べず、ヨーロッパに行く便の北回りはアンカレッジでいったん給油のために着陸していた。
アンカレッジに着いたら、うどん屋があって、日本人の客目当てで営業していたのにびっくりした。
何せ初めての海外で、言葉は分からず、どうにもならなかったのを覚えている。
ベルギーからドイツに行って、ドイツのホテルでデザートにアイスクリームを頼んだら、洗面器みたいな容器にいっぱい出てきて、おまけに生クリームが山ほどかかっていて難儀をした。
一緒に行った課長がアウトバーンでベンツに乗って200km/hを出して、「200キロや!」と喜んでいたのが印象的だった。
アウトバーンの橋には戦車のマークがあって、一度に何台戦車が通れる、という表示だと聞いて、これまたびっくりした。
まだ冷戦の世の中だったから、当然か。
ドイツの仮想敵国はドイツ(東)だったし、その後ろ側にはソビエト連邦があった。
日本は島国でよかったと思った。
まだまだジェームス・ボンドの世界が現実にあった頃だ。
それから考えると、平和になったと思う。

その次のオーストラリアは設計にいた頃。1985年だった。
設計、実験、サービスの3人でメルボルンに行った。
ぼくが一番若くて、事前の連絡や手配を全部やって、大変だった。
この時は20日間くらいだったか。
現地法人のオーストラリア人がすごく親切で、自分たちのことのように関わってくれたのが、すごく思い出に残っている。
メルボルンから北に数百キロ離れたところまで行き、そこで仕事をした。
毎晩接待で、ディナーに2時間以上かかるのには閉口した。
それが終わってから、その日の結果をまとめて、作戦を立てないといけない。
毎晩夜中までホテルで仕事をした。

オーストラリアは近いと思っていたが、意外と遠かった。
シンガポールのチャンギ国際空港でトランジットして、メルボルン着だった。
とにかく空港が大きくて、成田など比べものにならないと思った。
圧倒的に広くてきれいだった。
今やアジアのハブと言われているが、85年当時から立派だった。
このときはメルボルンで本場のウールのスーツを買った。
2万円くらいだったと思う。
当時は痩せていたと痛感する。
今は太って着られないが、いつかまた着られるようになりたいと思って、捨てられない。

フィリップアイランドだったか、ペンギンを見に行ったり、大きなカキをたらふく食べたり…。

1回目はエライ人の鞄持ちだったが、2回目のオーストラリアは若いとはいえ仕事の経験も積んでいくらか余裕ができてからの出張だったので、言葉も通じて楽しかったのを覚えている。

続きはまた今度。

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