考えたこと2

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肩こりと被選挙権
最近、肩こりがマシになった。
毎朝痛み止めのゲル剤を塗っているからだ。

それでは根本的な治療にならない、と若い人は言う。
痛みが止まるだけで、元を治すのではない、というのだ。
なるほど、ぼくも若いころはそう思っていた。

でも、今はそれでもかまわないと思っている。
痛くなくなれば、治ったも同じだ。
ずっと続いていた肩こりだから、マシになるというのはすごい事だろう。
原因などどうでもよい。

年をとるというのはこういうことだ。
だんだんと結果オーライになってくる。
それが根本的な治療でなくてもかまわない。

なぜなら、残された時間が少ないからだ。

先のことを考える必要がなくなってきている。

治れば、それでいい。

そういう年齢になった。

とりあえず、その場しのぎでもかまわないと思ってしまう。

同じことが政治にも言える。
税と年金の一体改革と言ってはいるが、決めているのは年寄りばかり。
役人も年寄りの方が力がある。
こんなことをやっていると、若い人が希望が持てない。
だから、少子化になる。
少子化になると、生産が落ち、国が衰退する。
そうなると、もっと若い人の希望がなくなる。

こんな悪循環をやっていると思う。

ことは肩こりどころではないのだ。

被選挙権の剥奪というのを憲法改正に入れてはどうか。
60歳を超えたら、被選挙権がなくなるようにする。

そんなことでもしないと、この国はシンドイ。

| | 考えたこと | 23:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
炎上
炎上という言葉、最近は意味が違う。
掲示板やSNSなどで多くの書き込みがされ、統制がとれなくなってしまうようなことを言う。
発端になる書き込みをする人は、確信犯もいるし、子供っぽい人もいるし、単なる世間知らずもいる。

こんなニュースがあった。

「「滅びろ!」「地獄に落ちろ!」「神に逆らう不届きものめ!」 東北大教授が千葉ロッテに罵詈雑言、「不適切ツイート」と大学が謝罪」

こういうのは普通の人がつぶやいたのなら、炎上はしないのだと思う。

書き込んだのがツイッターというところで、書き込んだ人がプロフィールから東北大学の文化人類学の教授だとわかったからだろう。
単なる楽天イーグルスの1ファンとして書いたのだろうが、世間の大学教授という職業に対する意識が発言を問題視し、炎上したのだと思う。

記事には、

「由緒ある「旧帝国大学」教授の発言とあって、ツイッターには非難と心配の声がこだました。しかし教授は、まったく意に介さない。「冗談もわからんやつは、最初から相手にしとらんわい!」「嫌われることを恐れて、ツイッターができるかい!」「本当に、おバカの多さに驚いておる。ツイッターは、実に有効な社会測定器であるw」「あのねえ、教授って、ただの肩書ですからwww」などと煽りたてながら、日付がかわった18日0時すぎに「もう12時過ぎかよ、帰る!」とつぶやきを終えた。」

と書かれている。

世間の人たちは大学教授という職業に錯覚を持っている。
良識を持って、教養があって、人間的に完成された人、というイメージ(ちょっとできすぎだが)みたいなものがあるのだろう。
だから、こんなことを書くとは、どういうことか、ということになる。
東北大学も謝罪をしないと仕方なかったということだろう。

しかし、大学教授という職業には以下のような特徴がある。

1.ずっと学校の中にいる人が多く、社会を知らずに年を取っている。
2.若い頃に金で苦労をした人が多く、世間に対して恨みのようなものを持っている。
3.大学という組織自体がいい加減で、組織の一員という自覚がなく、自分の行動に責任を持つという意識がない。
4.いつもセンセイと言われており、謙虚さに欠け、社会常識がない人が多い。
5.教養というより、ある分野に特化して知識があり、それ以外の部分は一般人に劣ることが多い。
6.どういうワケか、常日頃学生を評価しているのに、自分が評価されるのを極端に嫌う。

ちょっと調子に乗って書きすぎたが、要はそういう傾向がある、ということだ。

だから、こういう人たちにツイッターの様なものを与えると、こんなことが起きるのだろう。
世間の人たちが持っているバイアスを直さないと、なかなか理解できない。

現に、今の大学業界では教授会の存在が問題になっている。
教授会というのは良識の府ではなく、単に教員の権益を守る組合集会のようなものになっているということだ。
国立でも私立でも学内のガバナンスをどうしていくか、というときに、この教授会というものの存在が邪魔になる。

もちろん立派な人もたくさんいるのだが、大学教授とはそんなものだ、と思った方がいい。

そうすれば、ムダなことにエネルギーを割かなくて済む。

それが正解。



| | 考えたこと | 01:12 | comments(0) | trackbacks(0) |