考えたこと2

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生徒が先か、先生が先か
優秀な学校には、優秀な先生がいる。
先生が優秀だから、優秀な生徒が来る。

優秀な学校には、優秀な生徒がいる。
生徒が優秀だから、優秀な先生が来る。

どちらが正しいのだろうか?
優秀な学校は、結果的に生徒が優秀になるのだろうか、先生が優秀になるのだろうか。

もちろん、両方の要素があるのだろうが…。

では、ダメな学校の場合はどうなんだろうか。

ダメな学校には、ダメな先生がいる。
先生がダメだから、ダメな生徒が来る。

ダメな学校には、ダメな生徒がいる。
生徒がダメだから、ダメな先生が来る。

法則は一つだろう。
どちらかが正しい。
学校の主役は先生か、生徒か、どちらだろう。
これはどう考えても生徒だろう。
生徒が結果を出さなければ、学校は変わらない。

まず生徒が優秀であることが、必要なのだと思う。
高校野球を見ればわかる。
地方の学校では、都会から選手をスカウトしてきた学校が甲子園に出ている。
それは当たり前だ。
都会で小学校、中学校と野球ばかりしてきた生徒と、地方で野球を始めた生徒では、ほとんどの場合勝負はついている。
勉強も野球も同じ事だ。
素質もあるが、取り組んだ時間と経験が圧倒的な要因だろう。

そういうと、「教育の可能性」という反論がある。
要は、ダメな生徒でも教育して優秀な生徒に変えることができないのなら、教育などやっても仕方がないということだ。
でも、ぼくはそういうことを言いたいのではない。
圧倒的な時間と経験の差を埋めるのは、難しいということだ。
教育の可能性は認めても、よほど優秀な学校の先生がボンクラで、ダメな学校の先生がスーパーでないと逆転はあり得ない。

先生の労働市場が自由であれば、優秀な先生は優秀な学校に行く。
多くの場合、その方がやりがいがあるからだ。
もちろん、そうでない場合もあるが…。

そして、優秀な生徒を教えれば、先生も優秀にならざるを得ない。
生徒に負けていられないからだ。
優秀でない先生は去って行くだろう。
結果的に先生も優秀になる。

いろいろ反論はあるだろうが、ぼくは生徒が先だと思う。


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