考えたこと2

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ゆとり教育
先週のニュース深読みで、ゆとり教育の特集をやっていた。

ゆとり教育が導入された経緯、それがなぜ問題になったかなどを解説していた。
文部科学省がやっていることがオカシイ。
ゆとり教育をやめて、総合学習をやめたか、というとやめていないらしい。
脱ゆとりと言っているが、脱していないということだ。
前よりも詰め込みがひどくなったのではないか。

6000人の大学生調査で、1/3の学生が平均という概念をわかっていないとか、前にも書いたが、偶数と奇数を足すと奇数になる、ということを理解していないということも言われている。

別に数学をわからなくても、生きてはいけるが、そういう概念操作ができない、ということが大きな問題になるのだろう。

でも、一つ大事なことが忘れられている。

教育制度の問題ばかり議論されているが、先生の質の問題は誰も触れない。

ゆとりでも、脱ゆとりでも別にどちらでもそんなに変わらないのだと思う。
問題は教え方だろう。
というか、先生そのものの質が変わらないと教育など変わらない。
今の教師養成の課程が悪いのだ。
そこにしか原因はないと思う。

だいたい、ゆとりだ、脱ゆとりだと言われて唯々諾々としたがっている先生は何を考えているのか。
自分の意見を表明しないのか。
日教組はそういう問題に対して何かコメントしたか。
こんな大事な問題に対して、現場の先生の意見は聞いたことがない。
子どもの行っている学校で、そういうことの説明が行われたことも聞かない。

十年一日のごとく同じという教員採用試験をまず変えるべきだろう。
どの分野から、何問出すということが事前にわかっている試験などオカシイ。
「考える力」を養成したいのなら、考える力を持った先生を生み出さないといけない。
そんな当たり前のことがわからない。
かけっこで一番も二番も一緒だというような考え方ばかり広がって、実際の社会との齟齬が大きくなるばかり。
実際の世の中は順番がつくのだ。

数日前の日経に「教育ムラ」についての社説が載っていたが、「教育」をもっと開かれたものにしないといけない。

まず教員養成の課程を変えること。教育者を教育すること。

それしかないと思う。

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