考えたこと2

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釧路
昭和54年の11月、生まれて初めて飛行機に乗った。

会社の販売応援で1ヶ月北海道に行ったのだ。
北海道も初めてで、初めてづくしだった。

新入社員で北海道に行ったのが3人。

飛行機で並んで座って、初めて浮いた時のことは今でも目に浮かぶ。
ジャンボの小さな窓から、滑走路のアスファルトが離れていって、伊丹の市街地が見えた。
飛行機に乗ると、アメやジュースがもらえる…ということにもびっくりした。

千歳に着いて、一日札幌で泊まり、次の日に函館、旭川、釧路に別れて移動した。

釧路の営業所に行って、挨拶したら、営業所のドアの横に発泡スチロールの箱いっぱいの、ゆでたカニがあった。
驚いて、これ、カニですか?と当たり前のことを聞いたら、花咲ガニという種類のカニで、お得意さんがくれたとのこと。
欲しかったら、持って帰っていいと言われ、ビニール袋に入れて下宿に持って帰った。

塩ゆでで、すごくおいしかった。
さすが、釧路やな…と感心したのが初日。

7人所帯の営業所だった。
所長、主任、営業が2人、配達が2人、庶務が1人。

営業の若手のKさんが僕のお守り役になって、行き帰りの送迎をしてくれた。
当時、新婚で、すごくきれいな奥さんを紹介されたことを思い出す。
Kさんにはお世話になった。色々連れていってもらい、楽しかった。

販売応援といっても、新入社員の研修を兼ねたもので、受け入れる営業所にとっては足手まといの部分もあったろう。

売っていたのはタイヤ。初雪が降ると急に交換が増える。そのための応援だった。

初雪に備えて、倉庫に在庫を増やしていく。
その倉庫整理が主な仕事だった。

仕事の合間に、配達の若い人と倉庫の入り口に座り込んで話したり、キャッチボールをした。

いよいよ、雪が近くなり、大量に品物が着いて、みんなで遅くまで倉庫の整理をした。
その時に、主任が「男たちの旅路」を録画しておいて…と家に電話していたのは、前に書いた。

整理が終わって、へとへとになって、差し入れのジュースを飲んでいると、みんなが、「あー、こわいなぁ」「こわい、こわい」という。
キョトンとしていたら、Kさんが、「こわい、はわからないか?」と聞いたので、「何かおそろしいものでもあるんですか?」と聞いたら、笑われた。

配達の若い人が、「こわい、は疲れたという意味だ」という。

「関西では、しんどい、と言います」というと、みんな、使いはしないが、「しんどい」という関西弁は知っていて、「しんどい」、「しんどい」と口々に言った。
アクセントのおかしいところを、なおしたりして、うす暗い倉庫の片隅で笑いあったことを思い出す。

しんどいことを、こわい、と言うんや…と本当にビックリした。

他にも、厳しいことを、「ゆるくない」と言ったり、語尾に「べ」が付いたり、生まれて初めて関西以外のところで長く過ごし、楽しかった。
「この仕事も、ゆるくないべ…」

みんな親切だった。

初雪は日曜日に降って、「行きます」と電話したら、Kさんに「おまえは休んどけ」と言われ、一番忙しい日に応援できなかった。
営業所にしたら、わけのわからないヤツがチョロチョロしたら危ない…ということが、今ならわかる。

営業所から帰る時に記念写真を撮ったはずだが、どこかにいってしまった。

Kさんとはその後ずっと年賀状のやり取りをしていて、一度だけ神戸で会った。
もう15年以上前だろう。
根室で所長になった…たしか、そんなことだったと思う。

それから数年して、喪中欠礼のハガキが届いた。
奥さんからだった。

時間軸の上を人生という曲線がミミズのようにウロウロしている。
僕の曲線とKさんの曲線は昭和54年の11月にぶつかって、重なり、そして離れていった。
片方の曲線は途切れて、もう片方はまだ動いている。

その片方の線も、いつかは切れる。

人生は、不思議なものだと思う。



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