![]() |
2006.07.09 Sunday
釧路
昭和54年の11月、生まれて初めて飛行機に乗った。
会社の販売応援で1ヶ月北海道に行ったのだ。 北海道も初めてで、初めてづくしだった。 新入社員で北海道に行ったのが3人。 飛行機で並んで座って、初めて浮いた時のことは今でも目に浮かぶ。 ジャンボの小さな窓から、滑走路のアスファルトが離れていって、伊丹の市街地が見えた。 飛行機に乗ると、アメやジュースがもらえる…ということにもびっくりした。 千歳に着いて、一日札幌で泊まり、次の日に函館、旭川、釧路に別れて移動した。 釧路の営業所に行って、挨拶したら、営業所のドアの横に発泡スチロールの箱いっぱいの、ゆでたカニがあった。 驚いて、これ、カニですか?と当たり前のことを聞いたら、花咲ガニという種類のカニで、お得意さんがくれたとのこと。 欲しかったら、持って帰っていいと言われ、ビニール袋に入れて下宿に持って帰った。 塩ゆでで、すごくおいしかった。 さすが、釧路やな…と感心したのが初日。 7人所帯の営業所だった。 所長、主任、営業が2人、配達が2人、庶務が1人。 営業の若手のKさんが僕のお守り役になって、行き帰りの送迎をしてくれた。 当時、新婚で、すごくきれいな奥さんを紹介されたことを思い出す。 Kさんにはお世話になった。色々連れていってもらい、楽しかった。 販売応援といっても、新入社員の研修を兼ねたもので、受け入れる営業所にとっては足手まといの部分もあったろう。 売っていたのはタイヤ。初雪が降ると急に交換が増える。そのための応援だった。 初雪に備えて、倉庫に在庫を増やしていく。 その倉庫整理が主な仕事だった。 仕事の合間に、配達の若い人と倉庫の入り口に座り込んで話したり、キャッチボールをした。 いよいよ、雪が近くなり、大量に品物が着いて、みんなで遅くまで倉庫の整理をした。 その時に、主任が「男たちの旅路」を録画しておいて…と家に電話していたのは、前に書いた。 整理が終わって、へとへとになって、差し入れのジュースを飲んでいると、みんなが、「あー、こわいなぁ」「こわい、こわい」という。 キョトンとしていたら、Kさんが、「こわい、はわからないか?」と聞いたので、「何かおそろしいものでもあるんですか?」と聞いたら、笑われた。 配達の若い人が、「こわい、は疲れたという意味だ」という。 「関西では、しんどい、と言います」というと、みんな、使いはしないが、「しんどい」という関西弁は知っていて、「しんどい」、「しんどい」と口々に言った。 アクセントのおかしいところを、なおしたりして、うす暗い倉庫の片隅で笑いあったことを思い出す。 しんどいことを、こわい、と言うんや…と本当にビックリした。 他にも、厳しいことを、「ゆるくない」と言ったり、語尾に「べ」が付いたり、生まれて初めて関西以外のところで長く過ごし、楽しかった。 「この仕事も、ゆるくないべ…」 みんな親切だった。 初雪は日曜日に降って、「行きます」と電話したら、Kさんに「おまえは休んどけ」と言われ、一番忙しい日に応援できなかった。 営業所にしたら、わけのわからないヤツがチョロチョロしたら危ない…ということが、今ならわかる。 営業所から帰る時に記念写真を撮ったはずだが、どこかにいってしまった。 Kさんとはその後ずっと年賀状のやり取りをしていて、一度だけ神戸で会った。 もう15年以上前だろう。 根室で所長になった…たしか、そんなことだったと思う。 それから数年して、喪中欠礼のハガキが届いた。 奥さんからだった。 時間軸の上を人生という曲線がミミズのようにウロウロしている。 僕の曲線とKさんの曲線は昭和54年の11月にぶつかって、重なり、そして離れていった。 片方の曲線は途切れて、もう片方はまだ動いている。 その片方の線も、いつかは切れる。 人生は、不思議なものだと思う。 |
![]() |