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2024.07.28 Sunday
竹内まりや
ぼくらが社会人になるタイミングで出てきた竹内まりや。
デビューは1978年の「Beginning」というアルバム(もちろんレコード)。 「戻っておいで私の時間」という曲はよく聞いた。 いかにも慶応ガールという感じの、モダンで素直な感じがよかったなあ。 Wikipediaによると、出雲の出身で高校時代1年間アメリカに留学していたとのこと。 当時にしては珍しい。 家は裕福だった。 大学時代に軽音に入り、杉真理のバンドでレコーディングに参加したのがこの世界に入るきっかけだったらしい。 当時は音楽雑誌の編集者を目指していた。 英語も得意だから、洋楽の雑誌もきっと読んでいたのだろう。 ぼくらが卒業の年に出たのは「University Street」というアルバムだった。 こっちのほうが売れたと思う。 その名も「On the University Street」や「Goodby University」という、そのものズバリのタイトルの曲もあって、すごいシンパシーがあった。 アルバムにはテニスラケットを持って、当時の大学生スタイルの彼女が写っている。 「そんなお気に入りの道と もうすぐお別れ 長く短かった4年の月日が終る 青春の思い出がきざまれてゆく」 「Remember when we used to talk Drinking some coffee together Those were the happy days I won’t forget」 便所の前の四畳半の下宿とはだいぶ違うが、みんなそんな思いを持って、卒業していった。 このアルバム制作で山下達郎と知り合った。 アルバムの「ドリーム・オブ・ユー〜レモンライムの青い風」は編曲とイントロのコーラスを彼がやっている。 シングル盤は瀬尾一三のアレンジ。ぼくはアイドルっぽい竹内まりやも好きなので、シングル派だ。 それについては書いたことがある。 このアルバムには本人の曲が3曲くらいしか入っていない。 レコード会社も、シンガー・ソングライターというよりも、アイドルとして売ろうと思っていたのだろう。 この次のシングル、「September」、「不思議なピーチパイ」が売れて、アイドル路線になりかけたが、本人はアーティスト志向だったので、山下と結婚してアイドル路線は終わった。 80年代当時はレコード会社が圧倒的に強かったから、アイドルをやれと言われたらやらざるを得なかったのだろう。 「マージービートで歌わせて」などを聞くと、彼女はビートルズのファンで、真剣に音楽をやりたかったのだという気持ちが伝わってくる。 実際、作詞作曲の才能は素晴らしい。 chayを聞いていて、なんとなく竹内まりやを聞きたくなった。 彼女ももう69歳。 ぼくらと同時代人だ。 10月に「Precious Days」というアルバムを10年ぶりに出す。 予約しよう。 |
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