![]() |
2024.07.11 Thursday
初めてのお葬式
ラジオの話が続くが、毎週聞いている「ラジオ文芸館」、今回は「初めてのお葬式」という作品だった。
聞き始めた当時は単独の番組だったが、だいぶ前に「ラジオ深夜便」の日曜日の深夜に移った。 NHKのアナウンサーが、短編小説を朗読するという番組。 「初めてのお葬式」は宮木あや子の作品で、中学生の女の子の淡い初恋の相手が転校して交通事故死にで亡くなり、東京まで葬式に行っていろいろなことを体験する、というお話。 いい話だった。 それで、ぼくも中学生になった時、高槻に転校していった女子が、ダンプカーとガードレールの間に挟まれて亡くなり、葬式に行ったことを思い出した。 暑い夏だった。 ぼくは特に仲が良かったわけではないが、よく話はしたし、同じ小学校の仲間から連絡があり、制服を着て行った。 たしか、女子2人と男子2人くらいだったと思う。 当時の国鉄の東海道線に乗って行き、電車の中で立っていたが、友達同士でもあまり話もしなかったことを覚えている。 小学校の1年の時に祖父が亡くなったが、この時の葬式はほとんど覚えていない。 葬式の後、親戚がみんな揃って寝たことと、祖母が泣いていたことだけはよく覚えている。 だから、中学に上がってすぐに亡くなった友人の葬式は、「初めてのお葬式」だった。 焼香は見よう見まねでやって、遺影に手を合わせた。 もう転校してしばらく経っていたので、亡くなった実感はなかったが、たくさんのクラスメートらしき中学生が泣いていた。 何となく、自分が場違いなところに来た、という感じだった。 知らなければ、知らないまま済んだのに。 帰りの電車も、寡黙になって帰った。 その時は、何となく友人の葬式というものは、自分にとっては場違いなものだと思った。 でも、その時一緒に行ったI君が40代で胃がんで亡くなった。 最後の自宅療養の時に会いに行って話をした。 彼は親友だったから、帰りに手を振る彼を見て、少し涙が出た。 葬式にも行ったが、やはりあまり覚えていない。 ぼくにとっては、生きて最後に会った時が、葬式代わりだったのだ。 帰りの電車で、高校の同級生と話をしたことだけ覚えている。 奥さんが、ずっとモルヒネを打って眠っていた時に、お医者さんが最期に話をさせるためにモルヒネをやめて、娘二人と一緒に話をさせてもらってよかったと言っていたことが、印象に残っている。 その時に一緒に葬式に行った友人の一人も、もう亡くなった。 急に亡くなったので、葬式にも行けなかった。 だんだんと、みんなが集まるのは葬式という年になってきた。 もうぼくらの年になると、葬式もある種当然ということに近づいてくる。 高齢化社会は多死社会だ。 生きているものは必ず死ぬ。 あの世に行く、と日本では言ってきた。 先日、80歳を過ぎた会社のOBが、亡くなった会社の友人の話をした時、「向こうに行ったら話をしたい」という言葉に妙にリアリティを感じた。 だんだんと、「向こう」が近づいてくると、わかるようになるのかもしれない。 いつかは自分も向こうに行くのだから。 |
![]() |