考えたこと2

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昔の軽音
今の大学で軽音と呼ばれているクラブは、ぼくが中学、高校の頃はフォークソングクラブだった。
アメリカのフォークソングがブームになって、たくさんの大学生がギターを持って歩いていた。

当時のフォークはPPM(ピーター・ポール&マリー)やボブ・ディラン、ブラザーズ・フォア、キングストン・トリオなど。
その当時日本のフォークはまだ吉田拓郎が出てくる前で、高石ともやとか、高田渡、遠藤賢司などがやっていた。
ベトナム反戦の頃だったから、歌も政治色の強いものが多く「花はどこに行った」とか、「風に吹かれて」など人気があった。

こないだのバンドの練習の時に聞いたのだが、最年長のバンマスは昔の大学の軽音部出身。
アメリカンフォークを中心にやっていたとのことで、なんと「日本語の歌は禁止」だったとのこと。
おお、そこまで徹底したいたのか、と驚いた。

そういえば、中学の頃吉田拓郎が出てきて、人気が出て売れたら、反発する人たちがいた。
どこかのジャンボリーで、観客と言い争いになったこととか、あったと思う。

おそらく、文句を言っていた人たちは、今の団塊の世代の一部の人たちではないかと思う。
マイナーであることに価値を見出していたのだろう。
ヒッピー文化の影響だ。
大衆に迎合することは、悪いことだ、という考え方。
当時のぼくにはなぜ観客に批判されるのかはわからなかった。

学生運動と連動していたのだと思う。
それが収まったら、そういう批判もなくなった。

そこからが拓郎、陽水の時代の始まり。
1975年に小室等、吉田拓郎、泉谷しげる、井上陽水がフォーライフ・レコードを創立した。

シンガーソングライターというような言葉ができた頃。
ミュージシャンが自分たちのためにレコード会社を作ったのだ。
それも、今の若い人にとっては、大昔の話。

いつの間にか、年を取ってしまった。

もうぼくら自体が昔なのだ。


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