考えたこと2

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竹内まりや
ぼくらが社会人になるタイミングで出てきた竹内まりや。
デビューは1978年の「Beginning」というアルバム(もちろんレコード)。
「戻っておいで私の時間」という曲はよく聞いた。
いかにも慶応ガールという感じの、モダンで素直な感じがよかったなあ。
Wikipediaによると、出雲の出身で高校時代1年間アメリカに留学していたとのこと。
当時にしては珍しい。
家は裕福だった。

大学時代に軽音に入り、杉真理のバンドでレコーディングに参加したのがこの世界に入るきっかけだったらしい。
当時は音楽雑誌の編集者を目指していた。
英語も得意だから、洋楽の雑誌もきっと読んでいたのだろう。

ぼくらが卒業の年に出たのは「University Street」というアルバムだった。
こっちのほうが売れたと思う。
その名も「On the University Street」や「Goodby University」という、そのものズバリのタイトルの曲もあって、すごいシンパシーがあった。
アルバムにはテニスラケットを持って、当時の大学生スタイルの彼女が写っている。

「そんなお気に入りの道と もうすぐお別れ
 長く短かった4年の月日が終る
 青春の思い出がきざまれてゆく」

「Remember when we used to talk
 Drinking some coffee together
 Those were the happy days
 I won’t forget」

便所の前の四畳半の下宿とはだいぶ違うが、みんなそんな思いを持って、卒業していった。

このアルバム制作で山下達郎と知り合った。
アルバムの「ドリーム・オブ・ユー〜レモンライムの青い風」は編曲とイントロのコーラスを彼がやっている。
シングル盤は瀬尾一三のアレンジ。ぼくはアイドルっぽい竹内まりやも好きなので、シングル派だ。

それについては書いたことがある。

このアルバムには本人の曲が3曲くらいしか入っていない。
レコード会社も、シンガー・ソングライターというよりも、アイドルとして売ろうと思っていたのだろう。
この次のシングル、「September」、「不思議なピーチパイ」が売れて、アイドル路線になりかけたが、本人はアーティスト志向だったので、山下と結婚してアイドル路線は終わった。

80年代当時はレコード会社が圧倒的に強かったから、アイドルをやれと言われたらやらざるを得なかったのだろう。
「マージービートで歌わせて」などを聞くと、彼女はビートルズのファンで、真剣に音楽をやりたかったのだという気持ちが伝わってくる。
実際、作詞作曲の才能は素晴らしい。

chayを聞いていて、なんとなく竹内まりやを聞きたくなった。

彼女ももう69歳。
ぼくらと同時代人だ。

10月に「Precious Days」というアルバムを10年ぶりに出す。

予約しよう。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:04 | comments(0) | trackbacks(0) |

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