考えたこと2

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もうあと4ヶ月
カレンダーをよく見たら、もう8月の下旬。

あと4ヶ月ちょっとで今年も終わる。
知らない間にそんなに時間が経って、今年も2/3が終わってしまった。
実際は知らない間ではないのだが、あと1/3という意識をしないまま過ごしてしまったということだ。

でも、多くの人はぼくと同じようなものだろう。
こうして年をとっていく。
毎日の些事に追われて、時間が経つ。
季節の変わり目や、ちょっとした変化には気づかない。

この分なら、あっという間に年末になる。

年末になって、2012年はいったい何をしたんだろう、と思うにちがいない。
だんだんと頭もかたくなって、行動がワンパターンになる。
そうこうするうちに、体力も落ちてくる。
そして名実ともに年寄りになる。

30代〜40代の頃は、忙しくて、こんなことを考える余裕もなかった。

それに比べると、暇になったということか。
それとも、名実ともに年をとったということか。

年をとるのは悪いことではないのだが、いろんな変化を受け入れるのに時間がかかる。

でも、少なくとも、この年まで生きられたのは喜ぶべきことだろう。


| | 考えたこと | 22:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
ゼッテー
「絶対」を「ゼッテー」というような言い方が、テレビのドラマで流行っている。
テレビのドラマで流行っている、ということは、若い人の間で言われているからだろう。
ぼくはすごく違和感を感じる。
気持ち悪いのだ。

言っている人は、違和感を感じないのだろう。
若い世代も違和感を感じる人がいるのだろうか?

ちょっとイキった若者が、「ゼッテー」という言い方をする。
例えば、「絶対負けない」→「ゼッテーマケネー」、「絶対うまい」→「ゼッテーウメー」というふうになる。

しかし、同じ「たい」でも「行きたい」が「イキテー」になるのは、理解可能だ。
似た言葉で、「何にも言えない」が「何もイエネー」も理解できる。
こういう言葉は時代劇などで聞き慣れている。
江戸っ子の言葉だろう。

もともと、「〜ない」「〜たい」という助詞が、「〜ネー」「〜テー」になるのはOKということだ。

しかし、「絶対」の「対」は独立した「たい」ではない。
漢字二文字で意味をなしている。
この「対」を「テー」に変えるのは、今までのルールに違反している。
だから「ゼッテー」は違和感があるのだと思う。

この方式でいけば、死体はシテー、期待はキテー、合体はガッテー、事態はジテーというふうになる。
絶対をゼッテーと言っている人は、こういう変化も可能になるだろう。
(「たい」がすべて「テー」になる江戸っ子弁ならあり得るが、それはアリ。)

「絶対死体がある。期待した事態だ」というのは、「ゼッテーシテーがある。キテーしたジテーだ」
ここまでひどくはないが、いずれこういう言い方もできるだろう。

生粋の江戸っ子でもない人が、こういう言い方をするのはどうかと思うのだが…。


| | 考えたこと | 00:14 | comments(0) | trackbacks(0) |