考えたこと2

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成績
成績をつける、というのは難しい。

相対評価か、絶対評価かというのが今の議論。
橋下市長の公務員改革だ。

大阪市では、公務員の評価に、民間では当たり前の相対評価を導入するという事になった、と新聞に書いてある。

相対評価を嫌う人たちは、いったい何を嫌っているのか、ぼくにはわからない。
北風と太陽の話で、北風ばかりでは…、という反論があったらしい。
なぜ相対評価が北風なのか。
相対評価、絶対評価と言っても、完全にどちらかの評価などあり得ないから、その中間のどこにポイントをおくか、ということだろう。
全員が順番に評価されていくことを公平だというなら、それはおかしい。それは不公平だ。
相対評価を「北風」だということ自体、能力や人柄、働き方に関係なく評価されたいという証拠ではないか。

相対評価には、上の人も下の人も説明責任が生じる。
上はどうしてそんな成績をつけたのかという説明責任があるし、下はそれに反論する場合、どういう実績があったかという説明責任がある。
要は、なあなあでは済まなくなる。

日本人の気質に合わない、という人もいるが、今まで日本の国を富ませていたのは、そういう制度を採用している民間のセクターだ。
なんやかや言っても、金儲けしないといけない。
そのためには、やる気のある人を取り立てる制度がいる。
やり過ぎはいけないと思うが、頭から相対評価を否定するのは大きなマチガイだ。

学校の先生も然り。
生徒を相対評価するのに、自分たちは評価されるのを嫌がる。
そもそも、何を評価するのか、どうやって評価するのか、という。
教育は評価が難しい、ともいう。

教育が評価が難しいというなら、自分たちのしていることは何なんだろう。
授業をして、試験をして、評価しているではないか。

人間が人間を評価するというのは不遜な行為だ。
できれば、そんなことはやりたくない。
でも、社会を成り立たせるためには、何かに基づいて順番を決めないといけない。
それが社会というものだ。

学校の先生はその役目を担っている。
それが仕事なのだ。
それはつらい仕事だろうが、先生になったからには避けることはできない。

だからこそ、優秀な先生を評価しないといけない。
何に基づいて評価するのか、それが難しいと先生は言う。
だからといって、評価しなければ、いつまでも評価できないままだ。
なぜ、間違っていてもいいから始めないのだろうか。

いつも、そういう論法だ。
人が人を評価するのに、正解などあるはずがない。

白か黒かの問題ではない。
グレーの部分を議論しないといけない。

世の中はそんなに簡単ではないのだ。


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