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2012.03.06 Tuesday
日本の神
日本人の神はたくさんいる。
だいたい、どこにでも何にでも神はいる、というのが一般的な土着の宗教らしい。 山には山の神が、川には川の神が、道には道の神がいる、ということだ。 ぼくが神社に参って、鈴をならし、賽銭を入れ、柏手を打ってお願いをするときのイメージでは、神は社の中で寝ている。 だから、鈴を鳴らして起こさないといけない。 その上で、柏手を打って、注意を引き、そしてお願いをしないと、聞いてくれない。 とても人間くさい神だ。 だいたいの人は、そういうふうに思っているのではないか。 天照大御神(あまてらすおおみかみ)が岩の中にこもってしまった時も、外でたくさんの神が集まって酒盛りをしたという。 それを見ようと、天照大御神は岩戸を開けたということだ。 まるで人間ではないか。 どういうわけか、そんな神をあがめているのが、日本人だと思う。 仏教の阿弥陀仏とか、観音様は、後世の話だ。 つらい世の中で、誰かにすがろうとした民衆を救おうとして、出てきたものだと思う。 出てきたときは立派だったと思うが、今のお寺のありさまを見ていると、救われない。 葬式で儲けるようになってはいけない。 でも、日本人はおおらかだから、仏も一緒でかまわない。 日本では、神も仏も同じようなものだ。 「神も仏もないものか」というではないか。 日本の神はとても人間くさい。 気ままで、ねがいを聞くのを忘れたりする。 貧乏神というのがいて、それが取り憑いたりする。 貧乏神も悪気があってやっているわけではないのだ…、という落語がある。 仏壇はあるが、神棚はないではないか、というなかれ。 日本の神は、神棚がなくても、そこにいるのだ。 どこにでも、何にでも、神はいる。 そんなありがたい神に囲まれているのが、日本人だと思う。 だから、宗教に関して無自覚になってしまったのだろう。 |
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