考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< March 2012 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
+SELECTED ENTRIES
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
日本の神
日本人の神はたくさんいる。

だいたい、どこにでも何にでも神はいる、というのが一般的な土着の宗教らしい。

山には山の神が、川には川の神が、道には道の神がいる、ということだ。

ぼくが神社に参って、鈴をならし、賽銭を入れ、柏手を打ってお願いをするときのイメージでは、神は社の中で寝ている。
だから、鈴を鳴らして起こさないといけない。
その上で、柏手を打って、注意を引き、そしてお願いをしないと、聞いてくれない。
とても人間くさい神だ。

だいたいの人は、そういうふうに思っているのではないか。

天照大御神(あまてらすおおみかみ)が岩の中にこもってしまった時も、外でたくさんの神が集まって酒盛りをしたという。
それを見ようと、天照大御神は岩戸を開けたということだ。
まるで人間ではないか。
どういうわけか、そんな神をあがめているのが、日本人だと思う。

仏教の阿弥陀仏とか、観音様は、後世の話だ。
つらい世の中で、誰かにすがろうとした民衆を救おうとして、出てきたものだと思う。
出てきたときは立派だったと思うが、今のお寺のありさまを見ていると、救われない。
葬式で儲けるようになってはいけない。

でも、日本人はおおらかだから、仏も一緒でかまわない。
日本では、神も仏も同じようなものだ。
「神も仏もないものか」というではないか。

日本の神はとても人間くさい。
気ままで、ねがいを聞くのを忘れたりする。
貧乏神というのがいて、それが取り憑いたりする。
貧乏神も悪気があってやっているわけではないのだ…、という落語がある。

仏壇はあるが、神棚はないではないか、というなかれ。

日本の神は、神棚がなくても、そこにいるのだ。

どこにでも、何にでも、神はいる。

そんなありがたい神に囲まれているのが、日本人だと思う。

だから、宗教に関して無自覚になってしまったのだろう。


| | 考えたこと | 21:39 | comments(0) | trackbacks(0) |