考えたこと2

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彼岸
昨日は彼岸の中日で、母と墓参りに行った。

Wikipediaによると、「彼岸とは、煩悩を脱した悟りの境地のことで、煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の岸「此岸」(しがん)と言うのに対して、向う側の岸「彼岸」という。」とある。

要は、「この世」に対する「あの世」の事を言うのだろう。

春分、秋分の日の前後3日間を彼岸といい、この期間に仏事を行う、ということになっている。

ただ、これは本来の仏教にはなく、日本独自のものであるという。

源氏物語に「彼岸」という言葉が出てきて、先祖の霊を供養するという風習が平安時代からあったらしい。

昨日は彼岸の中日で天気もよく、お墓はたくさんの人が家族連れで墓参りに来ていた。

日本人は信心深いと改めて感心した。

しかし、墓参りはするが、家にお坊さんに来てもらって法要をするというような家は、どんどん減っているだろう。

特に都市部ではそうだ。

これからは、葬儀の形もどうなっていくのか、興味深い。

春と秋に墓参りをするという習慣はいつまで続くのだろうか。

盆も合わせると、年に3回。

昨日見たら、どのお墓もわりときれいになっていたから、今はちゃんとやっているのだろう。

これから団塊の世代の人たちがメインになってくるが、ちゃんとやるのだろうか。

それにしても、彼岸に先祖を供養する、という発想はどこから来たのか。

「家」の概念があるから、先祖の供養になるのだろう。

阿弥陀仏や観音様には、「家」の概念はないと思う。一神教のような感じだ。

柳田国男によると、神道には死者が生者の近くにいて、盆や正月に戻ってくるもの、という死生観があるらしい。

やはり、日本人が古来の死生観を捨てきれないのを、仏教が拾って仏事にしたのか。

そういえば、散骨をするというのも、海や山に骨をまいて自然に帰る、というような感覚があるなあ。

仏教が伝来して、死後は極楽か地獄に行くということになったが、それよりも子孫のそばで見守るという感じがいいような気もする。

ぼちぼちこの年になると、死について関心が深くなってくる。


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