考えたこと2

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大相撲
名古屋場所の中継が中止されることになった。
野球賭博が原因。
大相撲関係者が、野球賭博に何十万、何百万という金を賭けていたということらしい。
それが、部屋の中でかわいくやっていればよかったのだが、「反社会的」なところでやっていたのがよくない。

賭け自体は、二人で阪神巨人戦の賭けをする、という事はよくあるし、罪にはならないだろう。
賭けがよくないというのなら、パチンコはどうなるのか。
あれこそ、サラリーマンが給料の1ヶ月分を、簡単にすることができ、中毒性があるという点で「反社会的」だと思うのだが…。

しかし、組織的な賭けの儲けが、「反社会的組織」の温床になるのなら、これはダメとしか言えない。
これが公営であったり、「社会に認められた」パチンコのような形態ならOKなのだが。

お相撲さん、と言えば、中学校を出てスカウトされ、新弟子検査を受けるのが一般的だと思う。
最近は高校出や大学出が増えたのか。
そこから、相撲部屋一本でないと、大相撲には出られない。
どんな楽しみがあるのかは知らないが、関取の楽しみなど、しれているのではないか。
谷町と呼ばれる取り巻きのファンに囲まれて、酒の席に呼ばれたりする。
それ以外にもあるだろうが、あの格好ではそんなに遊べない。
変装ができないから(してもバレる)、遊ぶのは難しいだろう。
食べることは仕事になっていて、体重を増やすために半ば義務的に行う。
かなりの闘争心と、ストレス耐性がないと、つとまらないだろう。
中途半端な気持ちでは、大相撲には出られない。

昔の関取は、少々賭けをやっても許されたのではないか。
大相撲の関取なのだから、それぐらいの事はやるだろう、という許容があったのかもしれない。
常人とは異なる体型になるほど、常人とは異なる生活を送っているからだ。
まあ、一般社会からは「はぐれた」存在だったろう。

しかし、近代になって、大相撲の人も「社会人」になった。
あまねく、国民は「社会人」でなければならなくなったからだ。
例外は認められない。
国民である以上、税金を納め、ルールを守らねばならない。
どちらが先かは知らないが、そうすることで、基本的人権という権利が保障される。

大相撲という組織は、そこから取り残されていたのかもしれない。
あの理事会を見ていると、そう思う。
もともと、ミンシュシュギなど関係ない徒弟制度である。
そうでなければ、力士は育てられないのだろう。

プロ野球はぼくらが小さい頃、黒い霧事件があって、粛正された。
追放された人もたくさんあったらしい。
あれは、アメリカから来たスポーツだし、まだミンシュシュギが似合うところもある。
チームプレイだからなあ。

しかし、大相撲はそれが温存された。
まあ、社会から隔離された存在に近い。

しかし、今回の粛正でようやく大相撲も変わる。
「義理と人情」の世界から、「権利と義務」の世界に少し移るのだろう。

実際、今回みんな悪いことをした、という自覚さえなかったのではないか。
でも、それは大相撲という制度の問題で、個人のせいとは言えない部分が大きかったと思う。

だから、真っ先に追放するのなら、理事会の役員ということになるのではないか。

どうしても、追放された人が「犠牲者」に見えるのは、ぼくだけではないだろう。


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