考えたこと2

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Positive
最近イギリスのドラマを見ていたら、肯定の返事に、「ポジティヴ」という場面がある。
ドラマを見ていると、Yesよりも強く肯定しているような感じがある。

"Positive"と答えている時は、「強くそう思う」というふうに聞こえる。

”Positive”という言葉は、「前向き」という意味以外にも、極性のプラス(+)という意味もあるし、陽性、という意味にも使われる。

反対はNegative。
もちろん、「後ろ向き」という意味で、極性のマイナス(ー)、そして、陰性という意味。

通信用語、という事も辞書には書かれているから、無線でYes、Noの代わりにPositive、Negativeと言うのかもしれない。

アメリカのドラマではあまり聞かないが、イギリスのドラマではよく聞く。

きっと、イギリス人とアメリカ人はお互いに言葉で区別するのだろう。

子音の強さなど、アメリカ英語とイギリス英語は違うが、お互いにマネしようとしても、きっとばれるんだろうなあ。

たしかに、関西の芸人が東京に行っても、言葉がオカシイからばれる。
お互いのスラングもちょっと違うし、アホとバカは使い方が違うし、箸と橋も違うからなあ。

ニューヨークではイギリス人はバカにされるし、ロンドンではアメリカ人はバカにされるんだろう。
昔見た、English man in NewYorkという映画を思い出した。

この映画では、HelloとHiが最初に出てくる。
イギリスでは、Hello、アメリカでは、Hiというのが挨拶。
いきなり、イギリス人がアメリカ人に挨拶はHiだ、と言われているシーンから始まった(ハズだ)。

言葉はむずかしい。

| | 英語 | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
エロイムエッサイム
朝のドラマは、水木しげるのマンガがテレビ化されるところまできた。

昭和40年代の前半か。
悪魔くん、という実写のドラマだった。

詳細は覚えていないが、エロイムエッサイム、エロイムエッサイム、我は求め訴えたり、という文句はよく覚えている。
文語調の言葉がまだ使われていた。
主題歌の最初は「エロイムエッサイム」で始まる。
ドラマの中で、水木が作詞をしていたが、そんな経緯があるとはなあ。

悪魔くんはなんだかヘンな子ども番組だった。
地獄の魔方陣から何かを呼び出して…、悪い奴らをやっつけるのだったか…。
あまり覚えていないが、とにかくテレビは見ていた。

カラーテレビを買っても、悪魔くんは白黒放送だ、と言っていた。
なつかしい。
前にも書いたが、カラー放送は画面に小さく「カラー」というロゴが出て、ほんとはカラーなんだよ、とイヤミを言っているような気がしたものだ。
ちょうど今のアナログ放送という文字のようなものだ。

悪魔くんはそれなりに流行ったと思う。
担当の編集者が言っていたが、「エロイムエッサイム、エロイムエッサイム」という文句が印象に残るのだ。
そして、その曲を明るいマーチのリズムでやろう、と水木が言っていたが、これは、本当にそうだった。
おそらく、実話なのだろう。

どちらが先かわからないが、ちょうど梅図かずおが出てきて、怪奇マンガが流行りだしたころだった。
ヘビ女とか、クモ、ネコなどを題名に入れた、怖いマンガを出していた。
今の人は「まことちゃん」の梅図かずおだと思っているかもしれないが、この人は怪奇マンガ専門だった。
まことちゃんは、梅図がイメージチェンジして、本人がバンドをやったりした頃の作品ではないか。
梅図かずおの作品を読んだら、夜、暗い廊下を歩いて、トイレに行けなくなる、という時代だった。

それに比べて、水木しげるのマンガは、怖い中にも何となくおかしさがある、という感じだった。
悪魔くんに続いて、ゲゲゲの鬼太郎(今はまだ墓場の鬼太郎)が出てくるが、この中のキャラクターは何となくおかしさがあった。
子泣きじじい、一反木綿、砂かけばばあなど、今あらためてみると、確かにオカシイ。

このドラマでは、ゲゲゲの女房の子ども時代に、「こわいものは、おもしろい」というセリフが何度も出てきた。
ぼくはSFマンガ派だったが、それでも、悪魔くんやゲゲゲの鬼太郎をよく覚えているのは、そういうことなんだろう。
あの特徴的な絵は、それまでのマンガ家が描かなかったものだ。

貸本マンガから、雑誌の連載マンガ、そしてテレビへ、というマンガを取り巻く盛衰がよくわかる。

しかし、本当に多くのマンガ家が貸本マンガで生まれ、そして志半ばであきらめ、それで残っているのが今の大御所、という図式。

昨日の朝、倒産した貸本マンガの印刷所の元社長や、水木の家に下宿していて、食いつなげずに関西に帰った元マンガ家が、食堂やどこかのテレビで、水木の原作がテレビで放映されると、わがことのように喜んでいる場面があった。

自分が昔志した道を、苦しいながらも歩き通し、ついにテレビになった、という感激。
今の若い人は、こういうのがほしいんだろうなあ。

だれも、うらやましいとか、金をせびりに行こうという人がいない。
そういう人はいただろうが、この時代、そんなことを思っていても、表に出さない。
みんな、水木の成功を涙を流して喜んでいた。

そういう時代を過ごしてきたと思う。

感謝。



| | 考えたこと | 00:55 | comments(0) | trackbacks(0) |