考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< July 2010 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
+SELECTED ENTRIES
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
元気をありがとう?
ワールドカップの日本チームが敗退して、街の声を聞いていたら、多かったのが、「元気をありがとう」「やればできるという勇気をもらった」というやつ。
前も一度書いたが、この言葉は不思議だ。
少なくとも、ぼくらが20代くらいまではなかったと思う。
80年代くらいが境目か。

それまでは、「頑張ったと思う」「よくやった」というような言葉。
何が違うかというと、主語が異なるのだ。
昔は「彼・彼ら」が主語。「あの人たちは頑張ったと思う。」「日本選手はよくやった」という感じ。
一方、現在は主語は「私」だと思う。
「私が元気をもらってありがとう」「私はやればできるという勇気をもらった」ということではないか。

彼らが中心か、私が中心かの問題になる。
昔は頑張って練習した彼らをほめた。
厳しい練習に耐えて勝ったということを喜んだ。
主役は彼らなのだ。

ところが、今は主役は自分だ。
「自分が」元気をもらった、「自分が」勇気をもらった。

あくまで、頑張ったのは彼らだ。
自分は見ていただけだ。それで、やればできる、という勇気をもらって喜んでいる。
どこまで楽天的なのか。
彼らの努力がどれほどのものか、わかるわけがない。

いつからか、日本人は世界の中心に自分がいる、と思っていないか。

何でも、やればできる、というほど甘いものではない。
それが、簡単にできないから、ほめたたえるのだ。

昔はそれをわかっていた。

ぼくはそう思う。





| | 考えたこと | 00:19 | comments(0) | trackbacks(0) |