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2010.07.02 Friday
元気をありがとう?
ワールドカップの日本チームが敗退して、街の声を聞いていたら、多かったのが、「元気をありがとう」「やればできるという勇気をもらった」というやつ。
前も一度書いたが、この言葉は不思議だ。 少なくとも、ぼくらが20代くらいまではなかったと思う。 80年代くらいが境目か。 それまでは、「頑張ったと思う」「よくやった」というような言葉。 何が違うかというと、主語が異なるのだ。 昔は「彼・彼ら」が主語。「あの人たちは頑張ったと思う。」「日本選手はよくやった」という感じ。 一方、現在は主語は「私」だと思う。 「私が元気をもらってありがとう」「私はやればできるという勇気をもらった」ということではないか。 彼らが中心か、私が中心かの問題になる。 昔は頑張って練習した彼らをほめた。 厳しい練習に耐えて勝ったということを喜んだ。 主役は彼らなのだ。 ところが、今は主役は自分だ。 「自分が」元気をもらった、「自分が」勇気をもらった。 あくまで、頑張ったのは彼らだ。 自分は見ていただけだ。それで、やればできる、という勇気をもらって喜んでいる。 どこまで楽天的なのか。 彼らの努力がどれほどのものか、わかるわけがない。 いつからか、日本人は世界の中心に自分がいる、と思っていないか。 何でも、やればできる、というほど甘いものではない。 それが、簡単にできないから、ほめたたえるのだ。 昔はそれをわかっていた。 ぼくはそう思う。 |
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