考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< November 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
+SELECTED ENTRIES
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
追悼 船場太郎
会社の後輩や同僚と一緒に花月に吉本新喜劇を見に行ったことがある。
89年に吉本新喜劇の人気が落ちて、「吉本新喜劇やめよっかなキャンペーン」というのをやった。
その頃だった。

小学校の頃から、土曜日、日曜日は吉本新喜劇の番組があり、はしごをして見ていた。
当時はなんば、梅田、京都の3つの花月の舞台があって、その中継録画が番組になっていた。
あの頃まで活躍していたのが、船場太郎。

二枚目役で、岡八郎や花紀京とは違った役どころだった。
当時のマドンナが亡くなった中山美保あたり。
せん・ばたろう、というギャグもあった。

おそらく、彼の最後のうめだ花月の舞台を生でぼくは見たと思う。
最後に、彼が「笑いのある生活が…」というような意味のことを言った。
当時、ベテランは辞めてもらって、若手を使っていく、という方針だったという。

吉本新喜劇は良くも悪くも関西の大衆文化を築いてきた。
学校では新喜劇を思わせるやり取りが成立した。
取りも直さず、それはみんなが見ていたからだ。

船場太郎は新喜劇を退団したあと、大阪市議会議員になった。
24年間、議員を勤めたらしい。
2019年の写真がWebに出ていたが、面影が残っていた。

退団後すぐなら、まだ新喜劇人気でいけると思うが、なんと24年間当選が続いたということだ。
それだけ、年寄から若い人まで、名前を知っていたということになる。
えらいものだ。
横山ノックは府知事になったし、西川きよしは国会議員になった。
大阪はお笑いの天下だと思った。
結果的に、それが大阪市政を腐敗させたのかもしれないが…。
橋下氏の苦労のもとはそのへんにあるのだろう。

何はともあれ、高度成長時代の大阪の笑いを支えた喜劇人がまた一人亡くなった。

Youtube上には、彼が出ていた頃の新喜劇もたくさんアップされている。
享年81歳。

天国で岡八郎や中山美保と昔ばなしをするのだろうか。

合掌。


| | 考えたこと | 21:52 | comments(0) | trackbacks(0) |