考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< November 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
+SELECTED ENTRIES
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
弱点
パワハラ関連で、部下に言って良い言葉と悪い言葉があると弁護士が書いている。

言って良い言葉は、

「一緒に考えてみようか」
「オレはこうしてくれるとうれしい」
「君にはこんないいところもあるんだから」
「君の得意なところから始めようか」
「どんなことがあっても君の味方だから」

コーチングで言う、"I"メッセージというやつだ。
「私」を主語にして言うと、叱責にはなりにくい。
"You"メッセージと言って、あなたを主語にすると、詰問になる。

パワハラになる言葉は、

「なんでできないんだ」
「やるのが当たり前だろ」
「もうオレは知らん」
「会社に入って何年になるんだ」
「あいつはこんなに営業成績がいいのに」

少なくとも、ぼくが会社にいるときには、こいう言葉は聞いたことがない。
言った覚えもない。
きっといい会社だったのだろう。

パワハラというのは、常識の問題だと思う。
常識が通じるか、通じないかというところだ。
失敗が常識的なものなら、パワハラなど起こらないと思う。
「仕方ない」で済む。

常識はずれの失敗をしたら、それはもうムリだ。
1回、2回は我慢するかもしれないが、3回やらかしたらその部下はその仕事に向いていない。
部下でとどまるのなら、失敗しそうな仕事はアサインしない。
できれば他の部署に異動させる。

そういう意味ではぼくは冷たい人間だ。
八方美人を旨として、人とはうまくやる方針。
部下からは話のわかる上司と思われやすい。

パワハラなどしない。
しない代わりに、失敗するような仕事はさせない。
だから、本当は人を育てられない。
自分でやってしまうのだ。

これがぼくの弱点。



| | 考えたこと | 23:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学の宣伝
この季節になると、大学の宣伝が増える。
利用者の多い駅にはどこかに大学の宣伝が常設されているが、この時期は電車の中などにも宣伝がある。
もちろん、受験生向きだ。

阪急神戸線をいつも利用するのだが、多いのが京都産業大学の宣伝。
電車のなかに、アニメ風の漫画があって、そこに文字がある、というもの。
「京都産業大学」という表示がなければ、大学の宣伝とは思わない。

サイトで確認してみると、シリーズ物になっている。
「君、むすび花咲く」というシリーズ。
ぼくが見たのは「岩倉結衣」のものだった。
他に、「星野幸生」と「北村雄輝」が出てくる。
きっと、どこかの広告代理店に丸投げしたのだ。

もちろん3人共受験生という設定だ。
比率も、女子1、男子2ということで、京産大の在学者数、女子4800,男子9300人に合わせているんだろう。

電車の中で見たのは「私の努力は私を裏切らない」という絵。
サイズはA2くらいかな。

「努力は報われるか分からないけれど、
頑張ればきっと実を結ぶと信じている。
だから私は絶対に諦めない
これまで積み重ねてきた努力を信じて
夢を叶えてみせるんだ。」

遠くを見ているような女の子の絵で、こういう文章が書いてある。

学びの内容や学部、学科など一切なし。
大胆な宣伝だと思う。
もっと偏差値の低い大学でも、学びの内容を訴えているのに、珍しいパターンだ。

おそらく、学生のコロナ感染で京都での人気が下がったので、神戸線まで宣伝を増やしたのだ。
でも、見方を変えれば、イメージに訴えて動くような受験生にターゲットを絞っているということ。
京産大の偏差値はだいたい50だ。
ちょうど受験生の平均くらい。

ということは、京産大の考えでは、平均的な受験生は大学での学びなど関係なく、イメージで学校を選ぶという位置づけになっているということだ。

京産大の建学の精神を見ると、

「いかなる国家社会においても、大学は最高の研究・教育の機関である。大学の使命は、将来の社会を担って立つ人材の育成にある。
その教育の目標は、高い人格をもち、人倫の道をふみはずすことなく、社会的義務を立派に果たし得る人をつくることであり、しかもその職域が国内であろうと海外であろうと、その如何を問わず、全世界の人々から尊敬される日本人として、全人類の平和と幸福のために寄与する精神をもった人間を育成することである。」

と初代総長の言葉が書いてあった。

これが今の中堅以下の私学の立ち位置を表している。

教員たちは、立派な目標を掲げているが、実際は受験生を集めるためにそんなことは無視してやっていてもおかまいなし。
食うためには、入学者が必要だからだ。

推薦入試、AO入試、一般入試など、秋から入試のオンパレード。
そうまでして、受験生を集めるのか、という感じだ。

当然、入学者のレベルは大きくばらつき、教育は難しくなる。
だから、一生懸命頑張って教育しよう、というほど教員は頑張れない。
そんな方法論などわからないからだ。
アクティブラーニングなどをやっているが、あれは体のいい責任転嫁だ。
それが成り立つためには、知識をつけないといけない。

こうやって、日本の大学は落ちていくのだろう。



| | 考えたこと | 00:39 | comments(0) | trackbacks(0) |