考えたこと2

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生きる目的
人間はなぜ生きているのか、という問は難しい。
若い頃はとかく忙しいから、そんなことを考えている暇はない。
でも、年をとって暇になってくると、そういうことを考える。

そう考えると、生きる意味などというものは、暇だから考えるもののようだ。
寿命が伸びたから、考えてしまう。
年をとって忙しい人は幸せだ。
そんなことを考えずに済む。

それに、今の時代、インターネットで情報過多になった。
クーポン欲しさにアプリを入れると、バカみたいにニュースが来る。
知るべきニュースだけならまだいいが、ニュースという名の暇つぶしになっている。

SNSもある意味同じだろう。
本当に知りたいものだけならいいが、それ以外の情報も入ってくる。
誰がどこでどんなものを食おうが、そんなことはどうでもいいのだ。

音楽が聞きたければ、なんとかミュージックを立ち上げてストリーミングすればいい。
映画が見たければ、なんとかビデオで、たくさんの映画から適当に選んで見ることができる。
ゲームがしたければ、適当にアプリを入れればいい。
何かについて知りたければ、検索をすれば一発で答えが出る。

こんな楽な生活をしていていいのだろうか。
しかし、これがまぎれもなく文明の進歩なのだ。

一昔前なら、気に入った曲があればレコード屋に行ってレコードを買い、それをターンテーブルの上に乗せて針を落とし、かしこまって音楽を聞いたもの。
それがパソコンで検索して、クリックすれば聞ける世の中。

いろんなことを早く簡単にできるようになった結果、人間は暇になる。

何のために生きているのか、というような問には一般的な答えなどない。
一人ひとりが見つけるべきものだろう。
それを考えずに済む人生は、忙しく過ごし、結果的にはいい人生。

だいたい、こんなことを考えても、仕方ないのかもしれない。
意味があるのは、それを商売にしている哲学者くらいなものだ。

デカンショ節は昔の学生が歌ったもの。
デカンショは「デカルト」「カント」「ショーペンハウエル」の3人の哲学者のことだ。

昔の学生は「デカンショデカンショで半年暮らし、あとの半年ねて暮らす」と歌った。
要するに暇だったのだ。

仏教思想に傾倒したショーペンハウエルは本の中でこう書いているらしい。

「人生の答えは、各自が古典や東洋の宗教をひもといて見つけてほしい」

哲学者でも、そういうのだからなあ。

だんだんと、人間には生きる目的などなく、そんなことは考えても無駄だという気になってきた。
そんなことを考えるくらいなら、もっとマシなことを考えたほうがいいのかもしれない。

「人間は考える葦である」と言ったパスカルは、同じ本の中で「人生は暇つぶしだ」とも言っている。
暇つぶしなのだから、好きに生きればいいということだ。
でも、何が好きかがわからないから困る。

結局は堂々巡り。

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