考えたこと2

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散髪屋
うちの息子たちは、散髪屋ではなく美容院でカットしてもらっている。
昔は散髪屋だったが、知らぬ間に美容院になった。

ぼくはずっと散髪屋さんだ。
社会人になって、4回引っ越しをしたが、その都度近所の散髪屋さんを探して行っていた。
今はちょうど向かいが散髪屋さんなので、とても便利。
空いているのを確認して行くことができる。

去年の秋くらいから、向かいの散髪屋さんの入っているマンションが建て替えだったので、半年ほど休業した。
ご主人によると、このあたりは散髪屋さんが減っているので、休業中も何とかしてほしいという声があって、ご近所で部屋を借りて予約ベースで営業していた。
それくらい、散髪難民がいるということだ。
たしかに、近所を見渡すと、安価なチェーン店の散髪屋さんはあるが、個人営業の店は潰れて減っている。

父が入院して亡くなる直前に、散髪に行きたいというので車で送り迎えをしたが、馴染みの散髪屋はなかなか変えられない。
若い人たちは美容院に行くから、あまり散髪屋には行かない。
向かいのご主人もそう言っていた。

ぼくらの年代は、美容院は女性が行くもの、という常識だったが、今はもう違うのだろう。
なかには散髪屋を利用する若い人もいると思うが、チェーン店を利用するのかもしれない。
こんなところでも、2極化が起こっている。

排泄は人類の永遠のテーマだが、髪や爪もほっておけないから、その処理は死ぬまでつきまとうものだ。
今朝、テレビで「人はいつかはみんな障害者になる」という話を見たが、本当にその通りだと思う。
いつかは、そういうことで、人に面倒を見てもらないといけなくなる。
そうなる前に命が尽きるか、そうならないように体を鍛えるかだが、これは難しい。

当たり前のことを、当たり前にするということが、だんだんと難しくなる。
それが年をとるということだ。

美容院に行っている若い人たちは、美容師を志す。
そっちの方が単価が高い。
だから、散髪屋さんは減っている。

昔は男は散髪屋という時代だった。
時代は変わる。

やはり老兵は去りゆくのみ。



| | 考えたこと | 20:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
AIの哲学
人工知能の開発者の目線で「哲学」が必要だという記事があった。
今の人工知能が飛躍的に進歩したのは、脳の構造を模して、機会的に学習できる仕組みを作ったからだと思う。
しかし、この記事を書いた日本デジタルゲーム学会理事の三宅氏は、こう書く。

「人工知能という学問の最大の特徴は「基礎がない」という点だ。つまり、「知能とは何か」という基礎が分かれば、数学的に理論を構築できるが、それがあいまいであるため、ど真ん中の問いを保留して、応用として周辺の知的機能や技術にばかり傾注している。
 人工知能の歴史は60年ほどしかない。その間、「外」に向かって人工知能(であろうもの)を実装しつつ、「知能とは何か」という「中心」に向かってようやく学問の基礎も掘り進め始めた、というのが人工知能研究の今の姿である。」

汎用的なAIを作るには、この「知能とはなにか」ということを明らかにしないといけない。
これは大変なことだ。簡単には出来ることではない。
そこで、哲学の出番だということになる。

しかし、知能とはなにかというのは本当に難しい。
そんなことを真剣に考えた人は、今までいないと思う。
人間が考えることが知能であって、それは当然のものだからだ。
人間以外が知能について考えることなど想定していないのだ。
ぼくは今の所、今後のAIを進化させるのは、脳科学の課題のような気がする。

こないだ読んだ進化心理学の本によると、人間は他の哺乳類に比べて、ニューロンの数はそれほど違わないとのこと。
違いが大きいのはシナプスの量だという。
要するに、記憶の量はそんなに違わないが、その繋がりが非常に多くなっているということだ。
いろんなものを関連づけていることが、他の哺乳類との違いらしい。

たしかに、知能というのは、何かと何かを関連づけて考える力だとも言えるかもしれない。
微分や積分を、変位や速度と繋げて考えるなどというのは、まさにそういう事だろう。
そういうアナロジカルな考えが、知能の特徴だと思う。

「人間は考える葦」などという言葉を理解するのも、知能の力だろう。
「人間」「考える」「葦」という3つの言葉をつなげることができるか、という「想像力」みたいなものをどうプログラムするか、という感じだ。
自分でもどういう記憶をどう繋げてそれを理解しているのか、全くわからない。

今も脳に電極をつけて、何かを聴いた時に、どこが働いているか、というような実験をしているんだろうか。
そんな荒っぽいことでは埒が明かないような気もする。

脳の研究が進めば、そういうチップもできるかもしれない。

でも、「その日」は来てほしくないように思うのはぼくだけだろうか。






| | 考えたこと | 01:27 | comments(0) | trackbacks(0) |