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2019.08.03 Saturday
よしもと問題2
よしもとの芸人の闇営業問題は、芸人対経営陣の争いという問題に矮小化されてしまった感がある。
闇営業をしたお客さんが、反社会的勢力だった、ということはあまり触れないでおこう、というのがテレビ局やよしもとに依存しているマスコミの意図なんだろう。 内輪もめはいくらしてもらっても構わないのだ。 そんな中、デーブ・スペクターがニューズウィークに、日本のテレビ業界と芸能事務所について語っている記事があった。 アメリカから来た彼の目から、この問題をみている。 「日本のテレビが面白くないのは、素人が多過ぎるから」という彼の意見には拍手を送る。 ぼくが地上波を見なくなったのは、まさにそういう理由だ。 彼によると、吉本興業は6000人ものタレントを抱えており、こんな会社は世界にない、という。 1つのエージェントに所属するタレントは20〜30人らしい。 所属するためにハードルがあり、そこで淘汰されているということか。 アメリカでは基本的に芸人が自分でマネジメントを雇う、という。このマネジメントというのが芸能事務所ということだろう。 ギャラは直接芸人に支払われて、そこから事務所がいくらかをもらう。 弁護士もいて、すべてオープンになっている。 吉本興業は給料を払って、芸人を雇っている。 会社が営業をして、仕事を取ってきて、芸人に仕事をさせる。 今回の闇営業というのは、それを通さずに芸人が勝手にやった、ということ。 つまり、アメリカでは芸人はあくまで個人事業主だが、吉本興業の場合は芸人は社員(契約書もないようだが)という扱い。 当然、日本では会社の方が強くなる。 よしもとはそのために大阪だけでなく、いろんなところに劇場を作り、タレント養成所を作って、若い人たちを集めている。 一応、養成所を卒業したら、劇場に出られるようにして、あとは実力ということだろう。 しかし、実力といっても見極めるのは難しいし、ある意味横一線だとすると、誰に目をつけて会社が売ろうとするか、ということになる。 だから、会社にしたら「売ってやった」ということになるし、芸人自身も「売ってもらった」という側面はある。 大阪ローカルの番組など、出てくる芸人よりも、一般の通行人の方が面白いこともよくある。 だから余計に事務所にしたら、「売ってやった」という思いも強くなるのだろう。 デーブ・スペクターのインタビューを、ちょっと長いが引用すると、 「何が問題かというと、日本では吉本のように、あまり実力や才能がなくても事務所に所属できてしまうということだ。これは他の大手事務所にも言えることだが、例えば吉本には「NSC(吉本総合芸能学院)」という養成所があり、お笑いや何かの芸を教えていて、そこを出ると大半は自動的に事務所に所属できてしまう。 専門学校のようなものなので、もちろん学生は自分で安くはない月謝を払って通うわけだが、吉本側もそういう学生を集めるために広告塔としてデビュー前の素人でも何人かテレビに出すということをやっている。 そこで出てくるのが、事務所の力でタレントを使わせるというやり方だ。バーターと言って、テレビ局からAというすごくいいタレントを使いたいと言われたら、Aを使うならBとCも使えという、抱き合わせをさせる。本当はよくないのだが、そうすればあまり面白くない人でも事務所の力で出演することができてしまう。 ある意味でタレントたちが文句を言えないのは、松本人志さんや加藤浩次さんや友近さんなどすごく実力があって価値がある人はいいのだが、そうでもない人が事務所に所属しているだけで出られるという構造があるから。本当にそんな文句が言えるのか、ということになってくる。 これは日本にしかない事情で、吉本だけでなく他の事務所もタレントになりたい人を簡単に入れ過ぎる。だから人数が増えていく。この、所属タレントが多過ぎるということが根本的な大問題だ。 実力が足りないのに、テレビのバーターなどでたくさん出す。だが、そんなのを観ていたら視聴者はしらけるだろう。なんでこんなにつまんない人出してるの、と。人のこと言えないんですけど(笑)。日本にはタレントが多過ぎる、芸人と名乗る人が多過ぎる。「芸NO人」という言い方もあるくらいだ(笑)。」 同じようなことがジャニーズ事務所にも言われているが、関西では圧倒的に吉本興業の力が強く、今や関西ローカルの大半の番組は、よしもとなしでは成り立たないと言ってもいいほど。 一方のアメリカはオーディションが厳しく、100%実力の社会だという。 日本では事務所の力で、素人芸の段階でもデビューできてしまう、ということが問題だという。 でも彼は、日本人はそういう素人が育っていくのを見るのが好きだ、と指摘する。 言われてみると、そうかもしれない。 昔の「アイドル」などはたしかにひどかった。 音程が外れていたり、ろくに演技ができなくてもドラマに出たりしていた。 今でも時々放送事故のようなことがある。 そういう人たちを応援したり、歳を重ねてうまくなるのを見ると、保護者のように喜んだりする。 AKBの総選挙など、そういう側面もあるのではないか。 それは民族性なのかもしれない。 「そもそも日本で「素人」というのは、悪い意味ではない。「新人」とか素人が大好きで、企業だっていまだに新卒を雇う。アメリカは経験がない人を好まない。キャスターになりたい人は必ずジャーナリズムスクールに行く。大学在学中にインターンをしたり、専門的な勉強をして職業訓練をしてから、就職する。 だが日本は漠然とした学歴しかなく、専門学校を出ている人のほうがすぐに役に立つくらいだ。メディアだけではなく商社など一般の企業でもいまだに新卒を雇って、入社してから社員教育をし、人事異動を繰り返して浅く広くいろいろなことを学んでいく。 日本社会がそうなっているので、芸能界はその延長線上にあるに過ぎない。だから違和感も抵抗もない。なぜアイドルとか下手な人たちに抵抗がないかというのは、日本社会にそういうベースがあるからだ。」 ことはやはり日本の文化に行き着くのだ。 日本の新卒文化がここでも生きている。 だから、事務所に入ったら、売れなくなっても大丈夫だ。 事務所が番組を与えたり、営業してくれて食わしてくれる。 デーブ・スペクターが言うように、日本の芸能事務所は「ファミリー」なのだ。 だからこそ、売れなくなっても面倒を見てくれる。 それは、年功序列賃金制と同じ考えなのだろう。 若い人たちは生産性の割には、低い給料で働く。その代わり年をとって生産性が低くなっても雇ってもらえる。 「海外にはタレントを育成する、育ててくれるという文化はなく、既に売れている人や売れそうな人にエージェントが付いて、売れなくなったらばっさり切り捨てる。だからこそ、いい人が残って、才能がない人は淘汰されるのでクオリティーが高い。」 だから、売れるやつしかいなくなる。 「アメリカは月給なんて保障しないから、エージェントにとって負担にならない。稼げなくなったらその分、マネジメントに払わないだけの話だ。 逆にアメリカの場合だと、エージェントがなかなか仕事を探してくれないとか、うまく斡旋してくれないとか、交渉が上手でないとか、オーディション情報や新作映画やテレビシリーズの情報が遅いとか、チャンスを逃したとか、そういうときにはタレントが自分からマネジメント契約を解消して違うところに移籍する。自分が雇っているので、自分で決められる。日本とアメリカでは立場が逆だ。」 芸能界も、やっぱり日本なのだ。 日本でテレビ局と芸能事務所がズブズブの関係になるのは、トップの接待文化があるから。 彼は日本の社会をよくするには、夜間外出禁止令を作ったほうがいいという。 19時前に家に帰るようにさせたり、接待をランチやブレックファストにしたらいい。 たしかに、アメリカでは夜の接待はあまりやらないらしい。 特にビジネスの話は、ビジネスアワーにやるという感じだ。 今のテレビ離れも、彼によれば「訳ありキャスティング」などのおかげで、テレビが面白くないからだという。 「日本のテレビをよくするには、上手い人を使うこと。バーターとか事務所からの押し付けとか、事務所先行のキャスティングを断ること。使いたい人を使う。」 そのとおりだと思う。 でも、テレビ以外の選択肢が増え、若い人がすでにテレビ離れをしている今、もう難しいのではないかとぼくは思う。 ここでは触れられていないが、前にも書いたように「反社会的組織」とのつながりに関しては、社会常識に則って処分すべきだ。 デーブ・スペクターはダジャレばかり言っている変な外人ではなかった。 この問題はこれで終わり。 |
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