考えたこと2

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普通の国
米中貿易戦争の本質について、福島香織というジャーナリストが書いた記事を読んだ。

彼女は米中貿易摩擦で、外資が中国から相次いで撤退するのを見て、その本質についてこう書いている。

「これは西側自由社会と中国共産党式管理社会という価値観の衝突、対決であって、米中どちらかが自分たちの価値観を捨てない限り、解決し得ない対立なのだと思う。だが米国や私たちが民主や自由や法治を捨て中国のやり方を受け入れることは考えられないし、中国はこのままの体制であれば、西側社会の言うような法治や自由や民主を受け入れることはない。同じルールでビジネスができなければ、外資企業が中国市場で中国企業を相手に勝てるわけがないではないか。」

「習近平政権になってからは、西側のルール、価値観は全否定。外国のハイテク技術を我が物とし、その国産化を掲げ、その国産ハイテク技術をもって海外市場に進出し、自分たちより国力の弱い国々に、中国式ルールを受け入れよ、という。米国にすれば、それは米国から不当に盗んだ技術だ。しかも中国式ルール、つまり西側の言う法治ではなく、中国共産党が法を使って仕切るルールを拡大することで世界秩序のスタンダードにしようという野望を隠さなくなった。それが「一帯一路」という経済一体化戦略の狙いの1つだ。そのことに気づいた米国が、中国に対し、米国はじめ西側陣営とフェアにビジネスをするならば、中国式ルールでなく米国式ルール、つまり法治を基礎とした自由主義市場スタイルでなければ受け入れられないと主張しているのが、米中貿易戦争の本質だ。」

ぼくもそうだと思う。
オバマ大統領の時代はまだ中国がいつかは自由主義になる、という期待があった。
中国がネコをかぶっていた時期だ。
しかし、今は違う。
習近平・トランプの時代になって、それは待っていても来ないということが明確になった。
だから、そう簡単には譲れなくなった。

美しく言えば、自由主義と社会主義の戦い。
もっと下世話に言えば、アメリカと中国共産党の覇権争い。
どちらの側面もある。

ぼくは民主主義が最良だと教育されたし、実際にそう思っている。
戦後の教育を受けた人たちは、ほとんどそうだと思う。
安保反対と叫んだ人たちもいたが、それは日本がまた戦争しようとしている、と思った人たちだった。
その後の50年の歴史が、それは間違いだったと証明している。

結局、軍備にそんなにお金をかけずに済んで、日本は高度成長した。
その選択が正しかったかどうかはわからない。
しかし、いつまでもアメリカは守ってくれるわけではない。
安保条約は片務的だと言われたら、それはそうだと思う。
その分、日米地位協定で、アメリカを優遇しているとも思う。

ずっと前に、小沢一郎がイラク戦争の時に、日本も「普通の国」にならないといけない、と言った。
普通の国、というのは、

「日本が真の国際国家となるために,(1) 「国際社会において当然とされていることを,当然のこととして自らの責任において行うこと」で, 安全保障に関しても例外としない。 (2) 「豊かで安定した国民生活を築こうとしている国々に対し,地球環境保護の課題について, 自ら最大限の協力をすること」が必要である」

ということだ。

今小沢がどう思っているのかわからないが、こういう考えを「是」とするかどうかが、これからの日本の課題だと思う。

でも、ぼくらの世代では解決できそうにない。議論すらできないと思う。
新しい世代の人たちに託さないといけないだろう。

それはとても残念なことだ。





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