考えたこと2

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メメント・モリ
「メメント・モリ」とはラテン語で「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」という意味。
これは日本でいう「無常」と似たような意味だが、ちょっと違うところが面白い。

「無常」はあらゆるものは変転し、常なるものはない、ということ。
その中の一つとして人間もいる。
死すべき存在としての人間だ。

それに対して、「メメント・モリ」は人間の死だけについての意味だ。
西洋では自然と人間は区別されている。
でも、こと人間に関しては同じような意味になる。
昔は「いずれ死ぬのだから、今を楽しめ」というような意味だったらしいが、キリスト教の時代に変化したらしい。
死を思えば、生きている間の考え方も変わるということだ。

一方、「無常」には「あきらめ」を感じる。
すべての人は死ぬのだから、それを受け入れるしかない、ということだ。
平家物語の「驕れる者は久しからず」、というような教訓的な意味もあるが、ぼくは「どう生きたって、いずれは死ぬのだから」というようなあきらめの感情が強いように思える。
だからどうやねん、という気持ちは残る。

「死」に関しては、メメント・モリの方が好ましい。
あきらめるより、積極的に「死を忘れるな」ということだ。
こういう厳しさは、無常観にはない。
キリスト教的な厳しさだろう。

キリスト教は、個人と神の関係のみだ。
プロテスタントは特にそういう関係だと思う。
先祖代々とかいうのは、全く出てこない。

メメント・モリ。

そうありたいと思う。

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