考えたこと2

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馬齢
2010年に一度このことで記事を書いていた。
その時は、「馬齢を重ねる」の意味のことだったが、今回はどうして馬かということが気になった。
動物にはいろいろいるのに、なぜ馬の年をとったというと、無駄に年をとったということになるのだろう。

犬や馬は家畜として人間の役に立ってきた。
特に馬は昔は本当に役に立つ、身近な家畜だったと思う。
身近なだけに、自分を謙遜するときに「犬馬」というふうに言われたらしい。

だから、自らの年齢を貶めて言うときに「犬馬の年」といった。
「犬馬の年」は今まで聞いたことはないが、そこから「馬齢」という言葉になったと思われる。

「馬齢を重ねる」とは、年の割には成長してない、ということだ。
還暦を迎えると、とみにそう思う。
現役でやっていた頃と比べて、どう考えても今は大したことはやってないような気がするのだ。
日本の男性の場合、晩年になればなるほど仕事もなくなり、馬齢を重ねるという感覚が大きくなるのだろう。
だから、街にも不機嫌なオジサンが多いのだと思う。
別に馬に悪気はないのだが…。

そういえば、馬の耳に念仏とか馬耳東風というのもある。
これもあまりいい意味ではない。
馬が身近な家畜だったからこそ、馬が出てくるのだろう。

今は馬はあまり身近ではない。
どちらかというと、犬や猫だ。

「犬も歩けば棒に当たる」とか、「猫の手も借りたい」とか、犬や猫もことわざに出てくるが、あまりいい意味で使われているのは思い当たらない。

最近のように、愛玩動物としての位置づけがなかったからだろう。

いや、そういえば「犬は3日飼えば3年恩を忘れない」というのもネットに出ていた。
あまりメジャーではないが、これくらいしかいい意味のものは、見つからない。

昔は今の「ペット」などというものはいなかったということだろう。
近所の犬猫病院は毎日たくさんの患者が来ている。
もちろん、犬が「ちょっと調子悪い」などというわけはないから、人間が体調を推し量って連れてきている。
予防注射なども昔と違って、至れり尽くせりだ。

まさに、「コンパニオン・アニマル」という感じ。
そうなると、ことわざもそのうち変わっていくのだろう。

いつか、「負うた子に教えられる」が「飼うた猫に教えられる」になっているかも…。

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