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2017.02.17 Friday
選ばなかった人生
もうすぐ還暦。
干支の12年サイクルを5回繰り返して、もとに戻る時期。 男性の平均寿命が80年くらいだから、3/4が終わったことになる。 ぼくが生まれた1957年は平均寿命はもっと短く、63歳だった。 あの頃なら、もうぼちぼちこの世からいなくなる準備をしないといけない。 この60年で日本が豊かになったことで、生活環境が向上し、医療も進んで寿命が伸びた。 ペットですら、夏は冷房、冬は暖房の部屋で飼うと、野良でいるよりも寿命が伸びるから、その効果は大きいんだろう。 しかし、長生きという結果に見合うような社会になっているかというと、それは疑問だ。 河合隼雄が言っていた、500m必死で走ってもうゴールだと思ったら、役員が出てきて、すいません、あと300mおねがいします、という状態に近いと思う。 え、そんなに走るの?といいたくなる。 60歳から65歳まで働ける、という再雇用を選択せず、NPOの面接を受けて震災の復興支援の仕事をしている会社の後輩(年はぼくより上)に去年会いに行って、話を聞いた。 他にもいろいろ事情はあっただろうが、その彼は、最終的に65歳まで会社にいると、そこから先はもう働けないのではないかと思ったとのこと。 自分はもっと長く働きたいから、60歳でその道を選んだということだ。 ぼくも47歳で一度会社を辞め、10年間学校法人で働き、そこも辞めた上で今は学生支援の仕事をしている。 これから先もどうなるかわからないと思っている。 でも、時々もし辞めてなかったら…と思う。 人生は選択の連続だと思うが、転職というのは進んで違う道を選ぶということだから、選ばなかった道もまたはっきりしているということだ。 最初の転職は25年働いていたのだから、先はある程度わかっていた。 顔なじみも多かったし、職場の雰囲気もよかった。 でも、敢えてそこを辞めて、違うところに行こうと思ったのは、やりたいことが見つかったからだ。 そして、職を変わって、学校法人では学生支援でホントに楽しい思いはした。 それでも、メインの業務のところでどうしても相容れない部分が大きくなってきて、そこも辞めた。 主に民間企業と学校法人という違いから、根本的な考え方が違ったのだ。 それに関しては、考えが甘かったとは思う。 57歳というのはちょっと早かったかもしれない。 でも、身体を壊したりもしたので、少し休んで出直したかった。 ぼくは転職を積極的には勧めない。 やっぱり現状維持が楽だから。 47歳で職を変わったとき、いちから違うところで人間関係を結ぶのは大変だった。 頼まれたことはなんでもやって、信頼関係を結ぶことも最初からだった。 徐々にみんなに信頼され、全体の仕事も任され、大学の学部改組や学科変更などの仕事もやり遂げた。 それでも、あの苦労はもう味わいたくないと思う。 教授たちにはほとんど嫌われたからなあ。 3月に以前の会社の人たちが集まって還暦祝いをしてくれるという。 中途退職してもそういう形で会社と関われるのは幸せだ。 どちらを選んでも、よかったのだろう。 それは、今目の前にあることを一生懸命やる、というキャリアの原則を証明しているのか。 |
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